「花見団子」「花より団子」のいわれとは?
【花見団子の起源】
慶長3(1598)年の春、豊臣秀吉は京都の醍醐寺(だいごじ)に三宝院(さんぼういん)の建物と庭園を造り、三宝院裏の山麓で盛大な花見の宴を開きました。宴を開くにあたり、醍醐山の中腹まで、畿内から集めた700本の桜を植樹したそうです。これが歴史上有名な「醍醐の花見」です。息子の秀頼や正室の北政所(きたのまんどころ)、側室の淀、三の丸など女房衆1300人余りが参加したといわれています。(参考[2])
場内には茶屋も設けられ、茶会や歌会が催されたそうです。このときにお茶菓子としてふるまわれたのが、三色団子(花見団子)であったといいます。当時はお花見はまだ上流階級の催しでしたが、江戸時代中頃になると庶民の間にも浸透し、以降現在まで、花見団子はお花見のお供として親しまれてきたといいます。
【花より団子】
お花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われます。奈良時代には中国から伝来した梅が高貴な花として鑑賞されていましたが、平安時代になると次第に桜が鑑賞されるようになりました。梅や桜を鑑賞しながら歌会などが開かれましたが、飲食を伴うことはなかったようです。鎌倉・室町時代には、貴族の風習が武士階級にも広まり、庶民にも定着したのは江戸時代中頃だといいます。
その頃には、桜の下で重箱の弁当などを広げ、酒を酌み交わすこともあったようです。「花より団子」という言葉が生まれたのもこの頃で、「江戸いろはかるた」の一つとなっています。「花より団子」の団子とは、花見団子のことだったのですね。
(参考)
[2]「豊太閤花見行列」(醍醐寺ホームページ)
https://www.daigoji.or.jp/event/detail2.html
出題:三井能力開発研究所 代表取締役 圓岡太治