浅田次郎の名エッセイ

浅田次郎「勇気凛凛ルリの色」セレクト(3)防御(ディフェンス)について

1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 連載第3回のこの原稿が書かれたのは、1994年の秋。1991年以降、自らの国を守るだけでなく、海外への派遣もあたりまえになった自衛隊について、自衛隊の「一兵卒」であった浅田さんが実感したことを語っています。

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「防御(デイフェンス)について」

無知な人が無責任なことを言う論議

つい先ごろまで一億国民が口角泡を飛ばして論じ合った、あのPKO論議はいったいどこへ消えてしまったのだろうか。

たしか最初は湾岸戦争の後始末に、という話だったと記憶するが、その後カンボジアへ、ルワンダへと事態が「拡大」するに及び、それに反比例して世論は平静になった。

そういえばこんなことを議論したっけな、というのが今や私を含む大方の本音で、いつ、誰と言い争ったのかも忘れている。つまり歴史というものはこうして作られて行くのである。私はかつて自衛隊員であった。それも普通科連隊の二等陸士、昔で言うなら歩兵連隊の二等兵から始めた「一兵卒」であった。

業界ではかなり異色の経歴である。現在私の周辺にいるライターや作家、マスコミ・出版関係者の中に、こういう経歴を持つ人間はひとりもいない。もちろん政治家や法律家の中にも。かつて二等陸士だった人間はいない。

つまり公的なメディアを通じて論じ合う連中は全員、どうなったっててめぇが死ぬはずはないので、口で言うほど真剣ではなかったのである。

考えてみれば、50年の長きにわたって全く戦(いくさ)をしなかった国というのは珍しい。しかも国内の治安は良く、ほとんどの国民は本物の銃器に触ったこともなければ銃声を聞いたこともない。それはそれで素晴らしいことである。

しばしば話のついでに「僕は昔、自衛隊にいましてねぇ」などと口にしようものなら、相手はたいていビックリし、何だか人を刑務所に行っていたか、隔離病棟に入っていた人間のように、妙な目で見る。

まあそれも平和な時代の証明と思えば腹も立たんのだが、いざPKO論議となると無知な人々無責任なことばかり言い始めたのには愕(おどろ)いた。

「丸腰で後方支援」の非常識

たとえば当初、「丸腰で後方支援なら出してもよかろう」という意見があった。しかし、「丸腰で後方支援なら行ってもよかろう」と考えた自衛官は一人もいなかったはずである。

つまりこういうことだ。自衛隊は年がら年じゅう実戦と同じ想定に基づく演習をしているが、どんな後方支援部隊でも丸腰でいる隊員などいない。輸送隊は小銃と車載機関銃を持ち、糧食班のコックだって小銃を背負いながら飯を炊くのである。それでもしばしば「優勢なる敵一個小隊に遭遇して全員戦死」しちまったりする。

いつまでたっても飯が届かないので斥候(せっこう)を出してみると、ゲリラに急襲されて糧食班は玉砕、カレーライスはみんな敵に食われていた、なんてこともあった。

というわけで、制服組の厳重な抗議により、「拳銃と小銃だけならよかろう」ということになったようである。

だが、これでもプロたちにとっては不満である。拳銃が戦場ではクソの役にも立たないことぐらい誰でも知っている。ほとんど護身用の短刀を懐(ふところ)に入れているようなものなのである。

その点、小銃は歩兵の主兵器であり、十分な殺傷力があるから、これを持っていればだいぶ安心して仕事ができる。

しかしそれにしても、敵側に機関銃が1丁登場すれば、応戦するどころか頭も上げられない状態になる。小銃と機関銃の威力の差というのはそれぐらい大きい。

おおむね30名編成の歩兵小隊には、必ず1丁の機関銃が配備されており、小隊間の遭遇戦ではまず何をさておき、敵の機関銃を潰すことに全力を尽くす。機関銃が沈黙すれば勝負あった、なのである。

現在、ルワンダ派遣にあたって機関銃の傾向が論議されている裏には、つまりこうしたプロの主張があるわけで、国民の正しい理解を得るためには、このあたりの説明をちゃんとした方がいいと思う。できれば制服組の広報官が「ニュースステーション」にでも出演して、その威力と必要性を説いて欲しいと思うのだが、どうだろう。

海外に出た自衛隊はどう見られるのか

さて、武器の話はさておき、気になることがある。現地でわが自衛隊だけが「後方支援」にあたるということを、各国の軍隊はどういう目で見ているのであろうか。

我々は「自衛隊」と称しているが、よその兵隊から見れば勝手にそう言っているだけとしか思われまい。

「平和憲法に基づく自衛隊なのだから危険な場所には行けません」という理由は、「親の遺言なので営業には出られません」といってデスクにかじりついている勝手なやつ、と映るであろう。これでは炎天下に走り回る多くの営業マンたちのヒンシュクを買う。

そもそも「自衛隊」は公式の英訳では“ Self-Defense Forces”という。「陸上」はこの頭にThe Ground、「海上」は“ Maritaime”、「航空」は“Air”が冠される。

かなり苦しい翻訳である。“ Self-Defense Forces”は文字通りの強引な直訳だが、「防衛軍」でもたぶん同じ訳になるだろうから、これを聞いた外国人がだからといって「俺達とはちがうやつら」だと解釈するはずはない。

「陸上」の“The Ground”は、まぁ名訳といえる。いわゆる“Army”とは違うんだゾ、という感じがよく出ている。しかし“Navy”の代詞としての“ Maritaime”は、かなり苦しい。たぶん“The sea” では間抜けな感じがするし、“Marine”(米海兵隊)では絶対にヤバいので、苦心惨憺の末“Maritaime”としたのであろう。仕方ないか。

 “Air”はさらに苦しい。まんなかの“Self-Defense”をとれば、ただの“Air Forece”になってしまい、これではまるきり「空軍」である。続けて読むと何だか「空軍だけどセルフディフェンスなんだよ」と言っているようで、すごく言いわけがましい感じがする。これもやはり“The sky”では間抜けだし、まだか“The heavens”というわけにもいかないので、ま、いいかと決めてしまったのだろう。

こうした名称を各国の兵隊達はどう解釈するであろうか。たとえば一緒に酒を飲み、からみ酒の米兵に「おめぇら、どうなってんだよー」と追求された場合、わが隊員はそのあたりをちゃんと説明ができるであろうか。

仮に、優秀で酒席のマナーも良い防大出身の幹部が“ Self-Defense”をことさら強調して、危ないことは出来ない旨を説いたところで、

「そんなこと言うんなら、うちのペンタゴンだってThe Department of Defense(=国防総省)だぜっ!」

と言い返されれば、グウの音も出るまい。要するにことアメリカにかかわらず、「国防(ディフェンス)」は万国共通の軍事的立前であるのだから、自衛隊と各国軍隊のちがいは、“Self”の一語に尽きるわけで、“Self”のために危険なことはできない、と解釈されてしまうのではなかろうか。

かくて酒場にたむろする世界の目は、「てめぇの身の安全のために後方にいる」日本の軍人たちに、冷ややかに向けられることであろう。そしてこの誤てる認識は、経済大国日本の商業的イメージと、たぶん容易に重なる。

と、このように自衛官は、行くまではさんざ世論のオモチャにされ、行けば行ったで世界中から白い目で見られるのである。

私は、だからどうしろという意見は持たない。ただ、わが愛すべき後輩たちが何だかなりゆきで海を越え、未完の歴史と繁栄のツケを、一身に背負わされて働いているような気がしてならないのである。

ところで、ひとつ疑問に思うのだが、もし彼らがゲリラの機関銃に急襲されて抗う術もなく死んでしまったら、それは殉職というのであろうか、戦死というのであろうか。

(初出/週刊現代1994年10月1日号)

『勇気凛々ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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