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東京の下町・門前仲町の『すし三ツ木』店主・三ツ木新吉さんは、2022年で74歳。中学入学と同時に稼業の寿司屋を手伝い始め、板前稼業もかれこれ60年。日本が大阪万国博覧会で沸いていた昭和45(1970)年に、深川不動尊の参道に開店した店は52周年を迎える。昭和の名店と謳われた京橋与志乃の吉祥寺店で厳しく仕込まれた腕は確かだが、親父さんのモットーは気取らないことと下町値段の明朗会計。昔ながらの江戸弁の洒脱な会話が楽しみで店を訪れる常連も多い。そんな親父さんが、寿司の歴史、昭和の板前修業のあれこれから、ネタの旬など、江戸前寿司の楽しみ方を縦横無尽に語りつくします。 第6回は、江戸時代寿司の歴史についての第1回。三ツ木の大将は、江戸時代の文献と浮世絵を研究し、江戸時代の握り鮨を再現して、お店で提供しています。ただ、寿司飯から現代のものとは違い、ネタにも様々な仕事た必要なので予約が必要です。あしからず。

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「江戸時代の寿司(1)」

「会話が最高のつまみだね」

柄にもないことを始めるとお客さんからいろいろ言われるもので、「随筆とはまた、えらく畑違いのことをするもんだね」なんてからかわれる始末です。

何かにつけて茶々を入れたがるのが下町の下町たるところで、だからといって目くじら立てるのも大人気ない。柳に風と受け流しております。

なにせ、カウンターを挟んでお客さんに面と向かっている寿司屋という商売は「会話」が命。私がズケズケものを言う分、お客さんも遠慮容赦はしてくれません。とはいえそれが寿司屋の醍醐味というもので、笑いながら旨いものを食べて、ホッと寛いでもらえれば文句はありません。

口幅ったいことを言うようですが、私も真心でお客さんと話すようにいつも心掛けています。だからというわけじゃありませんが、口は悪いけど裏も表もないのが取り柄です。30年来ご贔屓(ひいき)にしてくれるシンガーのなぎら健壱さんなど、「鮨はさておき、会話が最高のつまみだね」なんて話してくれているそうで、握った鮨を褒(ほ)められるより嬉しいですね。

お客さんにはリラックスして食べてほしいので、勘定を気にして鮨をつまむのも食べた気がしないだろうから、値段の入ったメニューを用意して安心してもらいます。そんな調子でやっているからなのでしょうか、若い人もよく来てくれます。

つい先日も大学の卒業祝いだといって3人連れの若者がやって来て、あれこれ話しているうちに社会人の心得は何かということになりました。

「まじめな人間とはまじめに付き合いなさい。でもね、悪い奴もいるのが世の中。できればそんな人間とは付き合わない方がいいけど、どうしてもという時は悪くなりなさいよ。あまり無理せず、郷に入ったら郷に従えだよ」

なんて偉そうなことを私が言うと、神妙に聞いているんです。最近はそんな極端なことをズケズケ言う大人がいないようで、面白がっているのかもしれません。

鮓、鮨の意味とは?

面白いといえば、寿司屋にまつわる話はどなたも興味があるようです。たとえば「すし」という字。「寿司」「鮨」「鮓」のほかにもたくさんあって、どれも当て字なんですね。そもそもは「酢飯」の「すめし」から「め」の字が抜けたのが語源だなんて説もあります。「鮓」の元々の意味は、魚を塩や糟(かす)に漬けたり、ご飯と一緒に発酵させた保存食のことで、「鮨」という字も「魚を旨くしたもの」とか講釈を垂れる人もいるようですが、本来は「塩辛」の意味で、紀元前300年、400年なんて遥か昔から中国にある漢字だそうです。

じゃあ、今はどうなのか。関東では「鮨」、関西では「鮓」を使っている店が多いようですね。私の店はシンプルに「すし」。誰でも読める「易しい」ひらがなにしたのは、私の「優しい」性格を掛けたから、なんてことはここだけの話です。

大昔からあった「鮨」の字に比べて、江戸前の握り寿司は、今から約200年前、江戸時代の文化文政(1804~1830年)の頃にはじまったとされています。当時は「寿し」という看板を出す店が多かったそうですが、明治に入って「し」をめでたい意味の「司」にして「寿司」になったとか。それが今じゃ「SUSHI」になって世界中に広まったんだから、江戸時代の寿司屋もあの世で驚いているでしょう。

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鮒寿司から早寿司へ...
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おとなの週末Web編集部 今井
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