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握り寿司の登場は革命だった

江戸時代以前、寿司といえば魚介と飯を発酵させて作った「熟(な)れ鮨」を指しました。冷蔵庫のなかった時代、生ものを発酵させて保存食としたわけです。その後、酢を用いて発酵時間を短縮した押し鮨が現れました。

関西では「こけら鮨」といって、四角い木箱の中につめたシャリの上に、薄く切ったネタを並べて上から二時間ほど押した鮨が一般的でした。「こけら」というのは、屋根をふくときの薄い板の「こけら板」を指します。ネタが薄く並んだ様子が、こけら板に似ていることから名付けられたといわれます。

押し鮨全盛のなか、江戸に握り寿司が登場しました。鮨業界にとっては産業革命にも匹敵する大きな出来事だったはずです。酢を混ぜたご飯と、酢で締めたサバなどの魚を使った現在の江戸前の握り寿司の原形が誕生しました。

押し鮨のような手間がかからず、誰でも簡単に鮨ができるとなったので、長屋のオヤジたちが「いっちょ、やったるか」と商売に乗り出してきました。握った酢飯に魚の切り身を載せ、箱に入れて「寿司屋〜、寿司」と声を張り上げて売りに歩くようになったのです。安くて美味い寿司はすぐに評判となり、客の方からやってくるようになった。そこで屋台という形で店を出すことになり、やがて店を構えるようになったというわけです。江戸の文化文政時代には、江戸には1町内に2、3軒の寿司屋があったというから、半端な数じゃありません。

そういえば、私が子供の頃の寿司屋の看板といえば、「出前敏速」「立食」と書かれた赤い小田原提灯や高張提灯でした。寿司屋は元々行商で出前のようなものだったし、イスのない屋台で立って食べていたことから来ているのですね。

(本文は、2012年6月15日刊『寿司屋の親父のひとり言』に加筆修正したものです)

大将が握る再現江戸前寿司は要予約なのであしからず。

すし 三ツ木

住所:東京都江東区富岡1‐13‐13
電話:03‐3641‐2863
営業時間:11時半~13時半、17時~22時
定休日:第3日曜日、月曜日
交通:東西線門前仲町駅1番出口から徒歩1分

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