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「ハロー・グッバイ」 人生の真実を含んだ歌詞

極私的3曲の2曲目は「ハロー・グッドバイ」だ。数あるザ・ビートルズの大ヒット曲の中では地味かも知れない。この曲の歌詞の“君はイエスという。ぼくはノーと言う。君がグッバイって言えば、ぼくはハローって言う”という内容には人生の真実が含まれている。1967年、この曲を聴いたのは17歳だった。この歌詞と寺山修司の詞“さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう”とダブらせて、ぼくは若き日々を生きてきた気がする。

これまで様々なFM局でDJをさせて頂いたが、番組が終了する時、エンディング曲はいつも「ハロー・グッバイ」をかけさせてもらって来た。ハローといってグッバイとリスナーに応えてもらいたかったからだ。

ジェフ・ベック「シーズ・ア・ウーマン」 ビートルズの名曲のカヴァー

ジョージ・マーティンはザ・ビートルズだけでなくジェフ・ベック、ケニー・ロジャース、ウルトラヴォックス、ソロのポール・マッカートニーなどもプロデュースしている。

1969年には名門AIRスタジオをオープンさせている。もっとプロデュースを手掛けても良かったのでは?というぼくの質問には“ザ・ビートルズ以降、様々なプロデュースの依頼は実際にあった。でもザ・ビートルズの残したもの~遺産を守るのがぼくの務めだったので、ほとんどは辞退させてもらった。ただジェフ・ベックだけは力を入れた。すでにスーパースターになっていたエリック・クラプトンやジミー・ペイジに比べて、彼はヒットに恵まれていなかった。今ではジャズ・フュージョンと呼んでいるオール・インストゥルメンタル・アルバムを作って、彼のギターの素晴らしいテクニックを音楽ファンに聴いてもらおうと思い制作したのが、『ブロウ・バイ・ブロウ』だったんだ”と答えてくれた。

ジョージ・マーティンがプロデュースした名盤の数々。上段はビートルズ(『レット・イット・ビー』の最終的なプロデュースはフィル・スペクター)。下の2枚は、ジェフ・ベックの『ワイアード』(1976年)と、『ブロウ・バイ・ブロウ』(1975年)

『ブロウ・バイ・ブロウ』はジェフ・ベックにとって初の大ヒットとなった。ジョージ・マーティンに優れたプロデュース能力があることを示した傑作だと思う。極私的名曲その3は、このアルバムの中から「シーズ・ア・ウーマン」を選ぶ。ザ・ビートルズの名曲のカヴァーだ。この曲を聴くとザ・ビートルズの曲はいかなるアレンジにも耐えることが分かる。とにかくメロディーが良いからだ。

2016年3月8日、ジョージ・マーティンは90歳でこの世を去った。ザ・ビートルズの遺産はプロデューサー/エンジニアである息子のジャイルズ・マーティンが守り続けている。

岩田由記夫

1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。

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