1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第16回は、大正時代の東京を舞台にした名作小説を執筆中に作家が痛感したことについて。それは失われゆく言葉への思い……。
画像ギャラリー「方言について」
東京弁は土俗的な方言である
ほぼ1年の間、薪に臥し肝を嘗めつつ精進した結果(要するに競馬予想をしたり週刊誌のエッセイを書いたりして何とか食いつないだ結果)、本年は怒濤のごとく小説が刊行されることになった。
多くの読者には誠に信じ難い話であろうが、私は競馬予想家でもエッセイストでもなく、実は小説家だったのである。
1月末に光文社から『きんぴか』という変なタイトルの、弁当箱状の小説が出た。続いて2月上旬、徳間書店発行の季刊文芸誌「小説工房」に、「天切り松 闇がたり」と題する長篇が一挙掲載される。以降、年内につごう五冊の単行本が上梓される予定である。
CMはさておき、この2篇を執筆するにあたってたいそう苦慮した「方言」について、今回は書いてみたいと思う。
前者『きんぴか』には、東京弁、関西弁、北海道弁、鹿児島弁と、4種の方言が駆使される。東京弁は自前であり、関西弁はかつてしばらく潜伏しておったので問題はなかった。北海道弁と鹿児島弁はかなりいいかげんだが、小説そのものがコメディなので、むしろデフォルメし、戯画化するという方法を採った。
この手の小説のコツは、「読者がアタマにくる寸前で笑わせてしまう」ということであるから、おそらく北海道の読者も鹿児島の読者も、ムチャクチャな方言を笑って許して下さると思う。
ところが、一方の「天切り松 闇がたり」という小説は厄介だった。
「天切り松」と呼ばれた稀代の怪盗が、大正の初めから今日まで70何年にも及ぶ盗ッ人稼業のエピソードを、留置場の中で語りだすという、ブッちぎりの悪漢小説(ピカレスク)である。
主人公は絵に描いたような江戸っ子で、しかも「語り物」の形をとっているから、全篇これまさに古き良き東京方言の連続。もちろんシリアスな小説であるから笑ってごまかすわけにはいかない。
内心、(てめえが日ごろ使っている言葉なら良かろうがい)と、安易に書き始めたのであるが、筆の進むほどに自分の中から東京弁の失われてしまっていることに気付いた。しばしば亡き祖父母や父の口調を思い起こし、(こんなときババアは何て言ったっけ)と考えながら書き続けねばならなかった。
何とか自分の胸に喚起させようと、しばしば幼なじみと会って話したりしたが、同世代の口からも幼児に慣れ親しんだ言葉はほとんど失われていた。知らぬうちに、私たちの方言は滅びていたのである。
全国の読者にはたいへん意外なことであろうが、本来の東京弁は極めて土俗的な方言である。
「僕」は山の手言葉であって、東京弁ではない
巷間言われるところの、「との区別がつかない」とか、「ラ行の巻き舌」とかいう単純なものではない。たとえば「ひ」と「し」にしても、「し」を「ひ」と発音することはなく、「ひ」が「し」に変わり、しかも場合によっては、その「し」も消えて促音化する。つまり、「朝日新聞」は「あさししんぶん」とは言わず、「あさっしんぶん」なのである。
またあらゆる方言のうち最も特徴的な第一人称「私」について言えば、東京人のステータス・シンボルのように思われている「僕」という言い方は近代の造語、すなわち「山の手言葉」であって元来の東京弁ではない。
今でこそ誰もが抵抗なく多用するが、私が子供の頃は「僕ね」なんて言おうものならたちまち仲間はずれにされたものだ。正しくは「俺」、さらに一般的には「おれっち」「おれら」である。
後二者は「俺達」「俺等」で意であるが、なぜか原東京人は個人についてもこれを使用する。すなわち、「僕ね」は「俺ァ」と言うべきであり、さらに垢抜けした東京弁となれば「おれっち」に拗音と長音を組み合わせた「おれっちゃー」となる。
待てよ。「僕ね」の訳語としてはそれでもまだ不完全だ。これに東京弁の特徴である終助詞をつけ、かつ長音化すればよろしい。「おれっちゃーよー」。これでよい。
では、二人称の「あなた」は何となるか。この場合も「君」は口にしたとたんに失笑を買う山の手言葉である。「おまえ」は女言葉で、一般には「おめー」が正しい。一人称の用法と同様、「おめーっちゃーよー」という言い回しももちろんある。
ただし、東京弁は総じて語尾をキッチリと締めるので、「おめー」というより「おめい」というような気持で発音した方がきれいかもしれない。「おめいっちゃあよう」、である。
このあたりも、あまり締めすぎると落語的になり、長音のまましゃべると暴走族になるから難しい。
下品な言葉として故意に排斥された
落語的、と表現したのには理由がある。私の考えでは、落語は必ずしも正確な東京弁ではない。いわば、地方出身者にもわかりやすいように巧みな変換を施した東京弁であろう。完全な方言があれほど大衆にわかりやすいはずはない。
ならばむしろ歌舞伎のセリフの方が正確であろうと思う。たとえば黙阿弥(もくあみ)の世話物などは、ほとんどの観客には場内イヤホーンを通してしか意味がわかるまい。あれは古典なのではなく、方言なのである。だから、祖父母や亡父がそっくり同じ言葉を使っていた私には、テレビの時代劇を見るのと同じようにすんなりと聴きとることができる。
「おめいっちゃあよう、よしんばきのうきょう箱根の山を越えたもんにせえ、こたあ道理だ、了簡なせえ」
などというセリフは、耳で聞けば全く意味不明だから、落語にもテレビドラマにも有りえない。翻訳すると、
「君たちはたとえ最近上京したにしろ、これは当たり前のことなんだからわかって下さい」
という意味になる。シチュエーションからすると、関西人に物の値段を値切られた店主が、江戸前の厭味をこめて拒否する、というところか。
まさに外国語の感があろうが、現実に明治30年生まれの私の祖父は、こういう言葉を日常しゃべっていた。
ちなみに、今や完全な死語となった「了簡」という言葉は、「考え」とか「理解」とか「許諾」とか「辛抱」とかいう複雑なニュアンスを持っていて、「了簡する」と動詞化すれば、「よく考える」「理解する」「許す」「納得する」「ひきさがる」、などというさまざまな意味になった。
歌舞伎にもしばしば使われ、祖父母もよく口にした言葉である。要するに喧嘩をすれば「了簡なさい」というわけで、こういう言葉が死語となったのは、いかに東京人の性格も丸くなったかということの証明であろう。
―と、このように失われたわれらの言葉を記憶の底から喚起しながら、私は「天切り松 闇がたり」を書いた。
原稿に腐心しながら、しばしば悲しい気分になった。方言は地方文化そのものであり、歴史であり、誇りである。日本中どこへ行っても、美しい方言は正しく継承されている。だのに東京ばかりが、あの粋で洗練された父祖の言葉を、すっかり失ってしまった。
理由は、住民が急激に代謝され、まじりあったせいばかりではない。高度成長の時代に東京弁は下品な言葉であるとされ、故意に排斥されたのである。
小学生のころ、「運動」という妙な教育が行われ、東京弁の特徴である「ね」「さ」「よ」の終助詞を使ってはいけないと言われた。誰が言い出したことかは知らんが、ひどい教育もあったものだと思う。
長じて言葉でメシを食う職業についた。文章はきちんと書こうと心がけているが、日常会話をことさら改めようとは思わない。小説家の癖に下品な物言いをすると言われてもいっこうに構わない。
『天切り松 闇がたり』の中で、私はできうる限り、滅びてしまった故郷の言葉を甦(よみがえ)らせようと試みた400枚のしまいのころには、ほとんど祈る気持ちであった。
私の祖母は若い時分、深川で左褄(ひだりつま)をとった粋な人であった。いわゆる「辰巳の鉄火芸者」である。筆を擱(お)いたとき、祖母の声が耳の奥に聴こえた。
「おまい、こんなんじゃあ誰も了簡しやしないよ。ちゃんと書きない」
江戸っ子読者からの感想を、心よりお待ちする。
(初出/週刊現代1996年2月17日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。
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