国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。マドンナの第2回でつづられるのは「男性観」。そして、インタビューが行われた1985年当時の夢についてです。1984年のセカンド・アルバム『ライク・ア・ヴァージン』の世界的ヒットで一躍スターダムに上がった歌姫の貴重な言葉の数々です。
デビュー・アルバムに貢献したジェリービーン
ぼくが逢った頃のマドンナはデビュー・アルバム『バーニング・アップ』に多大な貢献をしたジェリービーンと交際していた。『バーニング・アップ』からはジェリービーンのプロデュースした「ホリディ」をヒットさせていた。
ジェリービーンはジョン“ジェリービーン”ベニーテスといい、マドンナのひとつ年上のプエルトリカンだ。当時はマスターミックスと呼ばれた様々な音楽をシームレスにつなげたミックステープやある楽曲を再構築するリミックスの達人だった。ビリー・ジョエルやポール・マッカートニーなどジェリービーンには多くのミュージシャンがリミックスを依頼している。ソロ・ミュージシャンとしても「ザ・メキシカン・シティ」、「サイドウォーク・トーク」がビルボードのディスコ・チャートでNo.1となっている。
この頃、ぼくはラジオの仕事の関係でジェリービーンにマスターミックスを依頼していて旧知の仲だった。
「私はいつでも恋している」
ぼくがジェリービーンと逢っているという話をマドンナにすると彼女の態度はさらに和らいだ。向かいあって座っているテーブルの間に置かれたフルーツ皿から葡萄を選び皮を剥いてぼくの口へ運んでくれた。“私はいつでも恋しているし、同時に幾つもの恋を進行できるけど今はジェリービーンに夢中なの。彼のためなら何でもできるわ”
そう呟いたので、実際にジェリービーンにどんなことをしてあげるのか訊ねた。“彼ってひとりじゃ何もできないの。だから朝、起こしてあげて、今日着る洋服を着せてあげたり、とにかく私は恋をしていると相手に何でもしてあげたくなるの”
ぼくは少し驚いた。デビュー・アルバム『バーニング・アップ』が大ヒットしてすぐにスーパースターになったマドンナはすでに強い女というパブリック・イメージを持っていた。そんな彼女が恋人に甲斐甲斐しくつかえることに喜びをおぼえるというのが意外だったのだ。日本ではまだまだ男女同権が進んでいなかった1980年代だったが、権利の先進国アメリカでは彼女のようなタイプは珍しいと思えたからだ。そこで日本には亭主関白という言葉があるということを説明した。夫がひどく尊大で妻をつかえさせる習慣だと教えた。
マドンナは亭主関白という言葉を気に入り、“私は亭主関白が好きなのかも知れない。いつでも恋をすると恋人につくしている。でも、いつもすぐに恋が終わってしまうのよね”と寂しそうに呟いたのが印象的だった。実際マドンナは別れても元恋人に優しい。ジェリービーンと別れた後に4年間、妻としてつかえた俳優/映画監督のショーン・ペンと別れた後、彼のカリフォルニアの家が山火事で焼失した時、新たな建築資金をプレゼントしていたというエピソードもある。パブリック・イメージでは強い女と見られていても実際に逢ったマドンナは、その小柄な体形もあって、今にも壊れそうに思えたのだった。