寿司屋の親父のひとり言

「寿司屋の親父のひとり言」第20回「マグロの話」

東京の下町・門前仲町の『すし三ツ木』店主・三ツ木新吉さんは、2022年で74歳。中学入学と同時に稼業の寿司屋を手伝い始め、板前稼業もかれこれ60年。日本が大阪万国博覧会で沸いていた昭和45(1970)年に、深川不動尊の参道に開店した店は52周年を迎える。昭和の名店と謳われた京橋与志乃の吉祥寺店で厳しく仕込まれた腕は確かだが、親父さんのモットーは気取らないことと下町値段の明朗会計。昔ながらの江戸弁の洒脱な会話が楽しみで店を訪れる常連も多い。そんな親父さんが、寿司の歴史、昭和の板前修業のあれこれから、ネタの旬など、江戸前寿司の楽しみ方を縦横無尽に語りつくします。第20回は、寿司ネタの中では人気のマグロに関するあれこれを、大将にプロの視点から解説してもらいました。

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「マグロの話」

生と冷凍、どっちが美味いか?

つけ場に立って寿司を握っていますと、ときどき面白いことに気づきます。最近では、プロである板前と素人のお客さんとではネタの味についてズレがあるということでしょうか。

たとえば、マグロ。日本人は古くからマグロを食べてきました。縄文時代の貝塚からマグロの骨が出てきたり、古事記や万葉集に「シビ」という名前で記述があるそうです。

江戸時代になると武士たちの間で「『シビ』は『死日』につながるから不吉だ」という話が広まったということです。マグロは下魚の扱いになり、好んで食べる人はいなくなってしまいました。

寿司ネタとして一般に使われるようになったのは、豊漁で獲れすぎたときに日持ちをよくするために醤油で漬けて「ヅケ」にするようになってからだと言われています。そういえば、若い板前と話をしていると、ヅケは赤身のことを言っているのです。時代とともに言葉の意味も変わってきています。

明治に入ってからもマグロは大衆的なネタでしかありませんでした。せいぜい食べるのは赤身くらいで、トロの部分は腐りやすいということで捨てられていました。

トロが今のような高級食材になったのは冷凍技術が進歩しはじめた昭和30年代に入ってからです。マイナス30度以下で冷凍すればマグロの味が落ちないことがわかり、マイナス50度以下で保管することができるようになって広く食べられるようになったそうです。

さてこのマグロ、一般的には生の本マグロが一番美味いと思われています。マグロにかぎらず、日本人は魚は新鮮であるのが一番と信じる傾向があります。もちろん新鮮なのはいいことなのですが、我々プロの職人に言わせれば冷凍の方が美味いのです。素人の人が目をつぶって生と冷凍、それぞれのマグロを食べたら冷凍の方が美味いと思うはずです。

生の魚はどうしても生臭さが残るものですが、一度冷凍したものは血の臭みというものがなくなるので美味いのです。常識というやつは一度疑ってかかる必要があります。

今ではすっかり寿司屋の看板メニューになっているマグロですが、すでに書きましたように江戸時代には見向きもされませんでした。当時、高級だったのはカツオ、マス、タイといったあたりで、エビは江戸湾でたくさん獲れたので手ごろな値段で食べることができたようです。

修業時代に聞いた洒落た言葉の数々

私の若い時分は、そんな話を親方から聞いて育ちました。むろん、私の方から質問をして答えてもらったのです。最近の若い衆は、どうもそういったことに興味がないようです。聞いてくれればいくらでも教えるのに、少し淋しい気がします。

私が聞いた親方の話によれば、江戸時代のシャリは、「湯炊き」といってお湯から米を炊いていたそうです。水から炊くより早いというのが理由で、15分ほどで炊き上がります。ただ、私も試してみましたが、やっぱり水から炊いた方が美味いですね。

私の修業時代――昭和40年代前半といえば、メダイ、オゴダイ、アオダイといった安い魚を使ってオボロをつくったものです。魚の白身に砂糖、醤油、みりんと塩を少々、そして食紅を入れてつくりますが、ヒラメを使うときもあります。

オボロは「さがや」とも呼ばれます。常磐津の「将門」で有名な「嵯峨や御室の花盛り……」というくだりから、「御室」と「おぼろ」の音が似ているため、洒落た言い方として生まれた言葉だそうです。

ちなみに、似たような仕事をするものに薄焼きの玉子焼きがあります。芝エビを剝いてすり身にし、裏漉しをしてから、卵、砂糖、みりん、山芋、塩を加え、薄い銅板で焼きます。この玉子はシャリの上に載せるのではなく、玉子焼きに切り目を入れて、シャリを挟みこみます。「鞍かけ」といって、馬の鞍のように見えることからこの名がついたようです。

寿司にまつわる言葉にはこれと似たようなものがたくさんあります。たとえば「弥助」。これは鮨、あるいは寿司屋のことです。由来になったのは、浄瑠璃や歌舞伎の当たり狂言の『義経千本桜』です。舞台は奈良・吉野の寿司屋「釣瓶鮓」。この店に弥助という美男の手代がおりまして、じつはこの男、源平合戦で滅びた平重盛の子、三位中将・平維盛でした。維盛の父に恩のある店の主人・弥左衛門が追っ手を欺くために匿っていた。そこに源氏の追手が迫り……という話です。元々は関西の押し寿司に使われていた隠語ですが、だんだんに江戸前の握り鮨にも使われるようになったようです。

「さがや」も「弥助」も、おそらく花柳界で使われているうちに広まったのでしょう。ただ、こうした洒落た言葉も徐々に聞かれなくなってきました。世の中は移ろいゆくものなのですね。

(本文は、2012615日刊『寿司屋の親父のひとり言』に加筆修正したものです)

店の近辺は、昭和の中頃までは、粋な辰巳芸者の姐さんたちが闊歩した花柳街だった

すし 三ツ木

住所:東京都江東区富岡1‐13‐13
電話:03‐3641‐2863
営業時間:11時半~13時半、17時~22時
定休日:第3日曜日、月曜日
交通:東西線門前仲町駅1番出口から徒歩1分

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