女将さんから突然の告白。突き動かされた継承への思い
難波さんの人生において、大きなウエイトを占めていた『楽久』のラーメン。いつものように食べていたある日、女将さんから突如「閉店」を告げられる。
「もちろん、聞いたときはショックでした。でも、お店を受け継ぐ方がいると聞いていたので、ホッとしていました。それもつかの間、コロナの影響でその話がなくなったから、お店を畳もうと思ってると言ったんです。
その瞬間、他の方に厨房を明け渡して、違うものが作られてしまうのは絶対にイヤだ、って胸がドキドキして……。何より、女将さんの『楽久』への味や思いはどうなるんだ。そんなことを考えていたら、『僕に楽久の味を守らせてくれませんか』と口をついていました」
しかし、女将さんからはいい返事が得られなかった。「新潟が誇るこの味をここで途絶えさせてしまっていいのだろうか?」「自分に何かできないだろうか?」と自問自答の日々が続いた。
「僕は料理ができないし、飲食業界で働いた経験もない。もし、女将さんが了承してくれたとしても『味を引き継げませんでした』ということになったら、巻き込んだ人や雇った人たちにも迷惑をかけるし、『楽久』ファンの方たちを失望させてしまうことになりますよね……」
それでも難波さんの中で『楽久』をなくしたくないという思いが消えることはなかった。女将さんに思いを伝え、何度もお願いをした。
「『そんなに言ってくれるなら』と、許可をいただきました」
難波さんの純粋な気持ちが女将さんの心を動かしたのだ。ここから『楽久』継承への道がスタートした。
しかし、肝心な女将さんの味を引き継ぐ人を探さねばならなかった。知人の紹介で出会ったのが、熊倉誠之助さん。新潟県岩室温泉にあるイタリアンレストラン『KOKAJIYA』の経営者だ。熊倉さんと共に働く料理人・岩田靖彦さんも参画した。
そして、店長候補。この人選が難航を極めた。求人募集をかけることに抵抗があり、友だち伝いに探そうとしたが、なかなかいい人材に出会えず。最終的に募集をかけたところ、メンバーが見つかった。新潟の有名ラーメン店での経験がある野口誠さんと、当時新潟大学に通っていた阿部真大さん。
その多くがハイスタに魅了されてきた人たち。一様に「難波さんに恩返しがしたい」と言う。難波さんが楽久のラーメンに救われてきたように、難波さんの音楽に救われてきたのだ。
こうして、『楽久』の味を継承する「楽久プロジェクト」が発足。地元の人気ローカル番組でも取り上げられ、多くの人にプロジェクトが知られることになった。