店舗探し、そして「なみ福プロジェクト」誕生!
では店舗をどこに構えるか。駐車場を十分に確保できる場所としていくつか思い浮かぶ中、向かったのが「海辺」だった。実はそのころ、女将さんから難波さんにあることが告げられていた。
「『楽久』の名前は変えてね。私の店じゃなくなるから、難波さんの店なんだから。ものすごくシンプルな答えでした。守るところは守りつつ、自分たちのものにしていかなきゃいけないんだと決意した瞬間でした。
女将さんは言葉少なにバシッと言ってくれる。今のアルバムいいわね、あの曲いいわね、あのライブよかったわね、と言ってくれた。中にはそこ見てくれたんですか! というときもあって、実は僕のバロメータだったんだよね、女将さんの言葉は」
ここでもまた、女将さんの言葉に気付かされた難波さん。折しもコロナ禍で新潟にいる時間が増え、新潟の街とじっくり向き合えた。
その中で出合ったのが、角田浜にある『季節旅館 おとひめ』。佐渡ヶ島が一望できる築50年の浜茶屋(海の家)だ。難波さんが家主さんと直接話をする中で、角田浜も後継者不足による影響を受けていた。
「かつては50軒以上の海の家が立ち並んでいて、すごく賑わっていたそうです。今では人口減少や後継者不足で営業しているのは数軒だけ。来場者も少なくなっていると聞いて、浜茶屋も僕たちが守ろうと考えました。新潟の人はもちろん、県外の人からも長く愛されるように続けようと思いました」
難波さんのプロジェクトへの思いや夢を聞いた家主さんから、譲ってもいいという言葉をいただいた難波さんは感動に打ち震えたと言います。
「目の前には広大な海、そしてきれいな夕日、夜は月が見え、灯台もある。そして山もある。とにかく景色が素晴らしいんです。そこにずっといてたら、『なみ福』という名前が降りてきました。波の音もすごくいいんですよね」
こうして「楽久プロジェクト」は「なみ福プロジェクト」と名前を変えた。様々な思いを背負って……。ここからが本番。浜茶屋の改修工事や、開店に向けての資金など莫大な費用が必要となった。そこでスタートさせたのがクラウドファンディングだった。
「業者にまかせるのは簡単。でも、その工程すら人生をかけてやってみようと、腹をくくりました。泣きそうになるくらいおいしかった『楽久』の味。それをさらに泣かしちゃう味にできたら『なみ福』はかっこいいし、素敵にならないわけがない」
次回は、クラウドファンディングでの取り組み、そして返礼品について、どのように進めていったのかをお届けします。お楽しみに。
取材/編集部えびす 写真提供/なみ福プロジェクト