『楽久』閉店。継承に向けて新たな問題が勃発
『楽久』が閉店を迎える2021年11月28日に向けて、『楽久』の厨房では女将さんと野口さん、阿部さんによる味の継承が行われた。数ヶ月の間に、何度も何度も試作を重ね、女将さんから「おいしい」と言ってもらえるほどに成長していた。
そして迎えた閉店の日。店の前には多くの列ができていた。
11時、女将さんがのれんをかけると、どこからともなく拍手が起きた。それだけでも『楽久』が愛されていたことがよくわかった瞬間だった。
難波さんはじめ「楽久プロジェクト」のメンバーもその列にいた。難波さんはこのときの気持ちを「寂しいのか何なのかわからない。とにかく食べたい」と語った。
お店に入り、厨房でラーメンを作る女将さんの姿を見て「ラーメンがなくなるってことは、厨房に女将さんがいなくなること。いつでもいてくれる人がそこにいなくなってしまうと思ったら、泣けてきちゃって……一気に寂しくなりました。どこかで自分の母親像を見ているところがあったかもしれませんね」。
食べ終わったあと、ラーメン一杯に対してこれだけの思いがあるんだと実感した難波さんは「『楽久』の魂を継承する」と改めて心の中で誓った。
営業終了後、「楽久プロジェクト」のメンバーでお花を渡した。難波さんは女将さんにこう話した。
「女将さんのラーメンに救われました。僕らは女将さんの気持ちをこれからも大切にしていきます。まずはお疲れ様でした。ゆっくりしてください」
店を出たあと、暖簾を下げる女将さんの姿を見て「いつもと同じ終わり方なのがかっこよすぎる」とつぶやく難波さんだった。
実は難波さん、『楽久』を継承するにあたって、お店を土地ごと買い取っていた。
「あの味を再現できるのはあの厨房しかないと、お願いして譲り受けました。それくらい気合いを入れてやるつもりでした」
その気持ちとは裏腹に、大きな壁にぶつかった。お店の駐車場が数台しかなかったのだ。車社会の新潟だからこその問題である。
近くにコインパーキングがなく、近所のそこかしらに車が止まってしまうようなことがあっては近隣の方に迷惑がかかる。それは避けたいと、『楽久』の地にラーメン屋を構えることを断念した。
代わりに店舗を『楽久』の味を全国に届ける冷凍ラーメンの製造・配送場所となる拠点に決めた。そうすることで『楽久』の味を同じ厨房で作ることができると考えたのだ。