夜の台所で愛しいおまえを最後のときを
その夜、私は懊悩の末タマゴと訣別した。物語に倦(う)んじ果てた真夜中、ひそかに台所に立って手鍋に清浄なミネラル・ウォーターを張り、生涯最後の一個になるかもしれぬタマゴを、ことことと茹でた。美しい球体の湯に躍る姿を見ていると、それを奪い合って兄弟ゲンカをした幼い日々が甦(よみがえ)った。
殻に箸の先で穴をあけ、熱にうかされる私の口元に「さ、栄養つけなきゃね」と添えてくれた、母の白い手。タマゴは母の手よりも白く、眩(まば)ゆかった。
タマゴ屋におつかいに行った帰り、古新聞にくるまれた包みごと落としてしまった。とり返しのつかない過ちに泣きながら、ジャンパーの腹に割れたタマゴを抱いて家に帰った。あのとき台所のあがりかまちで、ごめんなさいごめんなさいといつまでも泣いていたのは、たぶんタマゴに対して詫びていたのだろう。
自衛隊の演習のとき、包囲された孤塁に茹でタマゴが届けられた。糧食班の英雄がそれだけを背囊(はいのう)に詰めて、包囲網をすり抜けてきたのだった。膝まで水につかった塹壕(ざんごう)の中で食ったタマゴは、ふしぎなくらい甘かった。
──私は思わず湯の中に躍る彼女に語りかけた。
「……おまえがそんなやつだったとは知らなかったよ」
(そんなやつ、って?)
「おまえと付き合っていると、いつか血管がボロボロになって、心筋梗塞か脳卒中で死んじまうんだそうだ」
(あたしのせいばかりじゃないわ。カニだってイカだって、タラコだって……)
「言いわけはするな。他のやつらなんてたいしたことないんだ。おまえが一番悪いんだ」
茹で上がったタマゴを冷水にひたす。シャワー・ルームから出てきた彼女はことさら美しく、艶やかだ。
「もうこれきりにしよう。おまえが嫌いになったわけじゃない。俺にはまだやらなきゃならないことが沢山ある」
(別れる、っていうのね)
「仕方あるまい。悪いのはおまえの方だ」
(勝手なこと言わないで。あたしに入れあげたのは、あなたの方じゃないの)
乱暴に服を脱がせ、薄い下着をはぎ取る。純白の温かな肌を、私は唇の先で味わった。
(……アン……じらさないで……ねえ、あたしのせいじゃないわよ。他の人は何ともないもの。あなたは見境いがないのよ。一日に何度も、ガツガツするから……ア、アン……)
「そうか? 数の問題なのか」
(そうよ、一日ひとつ、って決めればいいのよ。もう若くはないんだし、それで十分でしょう)
「ガマンできるかな……さあ、いくよ」
(ちゃんとつけて。シオ、シオ)
「あ、そうだった。ちゃんとつけなきゃ」
(……アン。ねえ、わかってよ。悪いのはあたしじゃない、あなただってこと)
「わかった。わかったって」
(だめ、ちゃんと約束して。しばらくは会わない方がいいけど、ほとぼりがさめたら、一日ひとつ。いい?)
「うん、約束する。さ、行くよ」
(きて、早くきて!)
私は台所に立ったまま、ホクホクのタマゴを頰張った。
人の気配にハッと振り返ると、娘が疑わしげに睨みつけていた。
「アッ、こっそりタマゴ食べてる。いーけないんだ。お医者さんに言われてるのに」
現在、総コレステロール値280。善玉(HDL)コレステロール値25。
再会の日は遠い。
(初出/週刊現代1995年11月25日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『きんぴか』『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。