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新横浜ラーメン博物館への出店 「商売としてうまくいくのか…」

当館が後藤さんに出店の話を持ち掛けたのが1992(平成4)年1月24日。その交渉記録によると、「興味はあるが人員不足のため、出店するのであれば旗の台のお店を閉めて出店しなければならない。また失礼ですがこの手の詐欺も多いので慎重に考えたい」とのことでした。

白金時代の後藤さん

その頃の状況について後藤さんに質問をしてみました。

Q.最初ラー博から声をかけられた時どう思いましたか?
A.世界初のラーメンの博物館というのは面白いとは思いましたが、商売としてうまくいくかどうかは疑問がありました。

Q.当時のご自身のお店の状況はどうでしたか?
A.とにかく忙しくて、本店と旗の台を合わせて1日800~1000人のお客さんが来ていました。自分で言うのはなんですが、当時はかなり有名店でした。

Q.初めて岩岡館長が訪ねてきた時の印象はどうでしたか?
A.当時岩岡さんは30歳そこそこでしたが、とにかく情熱の人で好青年という印象した。何度も何度も会いに来てくれたのでその本気度は伝わりました。

Q.初めて当時の新横浜を見た時の感想はどうでしたか?
A.私もタクシー運転手をしていたので、新横浜の状況は理解していましたが、空き地だらけでこんなところに人が集まるのかと不安にはなりました。実際のところ、店長候補を募集した際に「新横浜じゃ人が来ない」と辞退した人もいました。しかし、私は新幹線が停まる駅というのは魅力的でしたし、今後、発展していくだろうと思ってはいました。

Q.出店を決めた理由についてお聞かせください。
A.岩岡さんが何度も何度も足を運んでくれたのが一番の理由ですが、世界初のラーメンの博物館というのは、もしかしたら大きな話題になるのではないかという期待もありました。

1994(平成6)年3月1日のレセプションにて(右が後藤さん、真ん中が岩岡館長)

Q.出店を決めた際、ご家族・従業員の反応はどうでしたか?
A.妻は終始反対でした。最終的には「そこまで言うのであれば」としぶしぶ納得していただきました。妻以外には相談せずに私が全て決断をしました。

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おとなの週末Web編集部
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