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1994年3月6日、新横浜ラーメン博物館がオープン 長蛇の列が続く

結果的に有能な店長候補も見つかり、旗の台のお店を閉めずに新横浜ラーメン博物館の開館を迎えることとなりました。

1994(平成6)年3月6日。世界初のラーメンのフードアミューズメントパーク「新横浜ラーメン博物館」がオープンしました。

1994年開業告知ポスター

開業初日、最初に並んだお客様は朝の5時過ぎ。オープンの11時には1000人を超える長蛇の列となり、8店舗が仕入れた食材は20時の時点ですべて売り切れました。初日の入場者は5340人。予想をはるかに超えるお客様にお越しいただきましたが、翌日からもこの状況がずっと続いていきます。

1994(平成6)年3月6日の行列の様子

オープン当初の話について、後藤さんに振り返っていただきました。

オープン前に多くの取材も来ていたので、本店のピークぐらいの混雑は想定していました。しかし始まってみると、私の想像の2倍~3倍でした。あの忙しさは今でも忘れられません。仕込みが追いつかず、閉店後、朝2~3時まで仕込みをして、2~3時間の仮眠をとってまた翌日という期間が長く続きました。いや~本当に忙しかったし、きつかったですが、今思えば本当によくやったと思います。

1994年出店当時の「勝丸」外観

2003年にラー博を卒業、約20年ぶりの復活 

・2003年11月30日、新横浜ラーメン博物館を卒業
「約10年間の出店でしたが、正直卒業は寂しかったです。ずっといたいという想いもありましたが、私たちが卒業しないと新しいお店も入ってこられませんので決断しました。卒業後、様々な施設に出店しましたが、ラーメン博物館は圧倒的に別格です。卒業して気づかされたことも多々ありますし、博物館での経験がその後大きく活かされました。本当に感謝しかありません」

2003年11月30日ラー博卒業の日

・約20年ぶりの復活
卒業から約20年、目黒「支那そば 勝丸」が「あの銘店をもう一度“94年組”」としてラーメン博物館に戻ってきます。
「私は出店して4日後の11月11日で80歳を迎えます。数年前から引退を考えていましたが、今回の出店を引退に向けた最後の舞台として、これまで培ってきた技術や知識、そしてラーメン店を始めたころの情熱、その全てを1杯のラーメンに注ぎたいと思います」

2022年、80歳を迎えた後藤さん

・94年当時の味の再現
「私の原点は煮干しです。イワシの煮干しには『カタクチイワシ』と『マイワシ』、『ウルメイワシ』の3種類があります。今でこそ煮干しの濃い味というのは受け入れられていますが、私が30年前に出店したころ初めて食べる方から『煮干しくさい』という声が多くありました。一口で残される方も少なくはありませんでした。私はショックでオープン後すぐに煮干しの香りが強い『マイワシ』から香りがマイルドな『カタクチイワシ』に変えました。これが良かったのか悪かったのかはわかりませんが、今回は元々の『マイワシ』をふんだんに使用した『極上煮干しラーメン』を提供します。昨今、煮干しは高騰してかなり高価になりましたが、鳥取県境港産の極上煮干しを惜しみなく使いたいと思います」

今回使用した極上の「マイワシ」

「またいろいろ悩んだのですが、出店期間中、思い切って目黒の本店を休業して新横浜ラーメン博物館に集中しようと思います。期間中に80歳を迎えますが、可能な限り厨房に立ちます。嬉しいことに初代ラー博店の店長だった八巻君(「らーめん 晴れる屋」@江の島)をはじめ、目黒本店の店長である弟や、昔の従業員が手伝ってくれるので最高のものが提供できると思っております」

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「勝丸」のラーメンの特徴...
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おとなの週末Web編集部
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