浅田次郎の名エッセイ

「勇気凛凛ルリの色」セレクト(51)「大人(おとな)について」

1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第51回。一部のエリートを除き、ほとんどが十代で社会に出た時代に比べると、日本人は若くなり、一方で子供っぽくなったと言われる。それが社会にどんな影響を与えたのか。1990年代末、ある大手企業が破綻した際に、それが如実に表れた例があった。

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「大人(おとな)について」

今の日本人は2割がた若返った

46歳になってしもうた。

私は100歳まで生きることに決めているので、まだ半分にも満たぬと思えば気は楽なのであるが、それにしても命がいくつあったって足らんような人生を、よくぞ46年間も過ごしてきたものだとしみじみ思う。

詳しいコメントはさし控えるが、常人ならば確実に3回死んでいるのである。なにせサイン会場にかけつけたかつての義兄弟は、「おまえ、小説家になったのかよ」とは言わず、「おまえ、生きてたのかよ!」と叫んだのであった。

ひでえ言い方をするものだと思ったが、よく考えてみれば、たしかに「小説家のオレ」より「46歳のオレ」のほうが信じられない気がする。

46歳の誕生日は香港で迎えた。文芸担当編集者たちには『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』に続く中国歴史巨篇の取材、と言ってあるけれど、実はマッカな噓で、シャティン競馬場で開催される国際レースを取材に行ったのである。というのも実はマッカな噓で、JRAのアゴアシ付きで鉄火馬券を買いに行ったのであった。

第4レースで435倍という三連複馬券を山のように取り、大金持ちになった。しかし最終レースで「ビクトリア・ピークのてっぺんにプール付きの豪邸を買う」という壮大な夢を見、アタマ差で無一文になってしまった。

私の46歳は、まこと私らしく、このように始まったのである。

競馬にはオマケが付いた。翌る日からの2日間、負けついでにカードをパンクさせる勢いで大買物をしまくり、「どうだ。買物に勝ち負けはあるめえ」とうそぶいたのであるが、成田に着いてみれば出立時1HK$=19円であったものが、何と1HK$=16円になっており、結局は買物でも大負けしちまったのであった。

きっとすばらしい1年になるだろうと思う。

ところで、年の初めぐらいはまじめなことを書こう。

帰路の飛行機の中で考えたのである。私が若い時分、46歳という年齢は良くも悪あしくも、もっと老いていた。若い者の目からそう見えたのではなく、たしかにそうだったのだと思う。平均寿命が延び、定年の延長によって社会的寿命も大幅に延びた分、みんなが若返ったのである。

この現象は読者の誰しもが等しく感ずるところであろう。少なくとも私たちがかつて抱いていた印象の8割ぐらいに、人間はみな若返っていると思う。30歳はかつての24歳、40歳は32歳、50歳は40歳、60歳は48歳というふうに考えて、ほぼまちがいないのではあるまいか。

だとすると、46歳は36、7歳ということになり、旧年中のわが行状も「若気の至り」という説明がつく。

おそらく、これほど顕著に人生が間延びした時代はかつてなかったであろうから、われわれは幸運であったというほかはない。文明の進歩により、われわれは労せずして2割がた回春したのである。

ただし、この現象を手放しで喜ぶわけにも行くまい。2割がた若返ったということは、裏返せば2割がたバカになったという意味でもある。

たとえば、30代の男が背広姿にリュックサックをしょってマンガを読みふけっている、などという近ごろの風俗も、彼は昔でいう20代なかばの知能しかないのだとすれば、さほど不自然ではない。むろん、46歳の男が香港まで馬券を買いに行ったあげく、レートの予測もせずに買物をし大損をこくなどという話も、彼が実は30代なかばの見識しか持たぬのだと思えば、「若気の至り」なのである。

これらは極めて個人的な趣味にかかわることであるから、まあいいだろう。問題は、彼らが社会人として企業なり家庭なり組織なりに加わった場合、いったいどのようなことが起こるのか。またその周辺の人々が彼らの行状をどう捉えるか、である。

山一証券の破綻に見た経営陣、社員たちの子供っぷり

ここにひとつの好例がある。

山一証券が破綻(はたん)したとき、そのトップが号泣しつつ記者団に語った言葉を覚えておられるであろうか。そう、彼は「社員は悪くない、社員のせいではない」というようなことを、くり返し訴えていた。

あの言葉は大人(おとな)の経営者が口にするべきものではあるまい。内輪のいきさつはどうか知らぬが、多大の迷惑を蒙(こうむ)った顧客をさし置いて、「社員は悪くない」はなかろう。

また、路上でマイクを向けられた社員たちも、「ローンが残っている」とか「持っている自社株が紙切れになった」とか「女房と今後のことについて話し合った」とか、個人的な苦悩ばかりを訴えていた。おのれの会社がいったい世間様にどれだけの迷惑をかけたのかわかっていれば、自分の悩みなど口がさけても言えぬはずである。

はっきり申し上げれば、彼らはそれぞれに山一証券という企業で飯を食っていたのである。自分たちの会社が何をしたか、すなわち自分が社会に対して何をしたかということが、まるで頭の中にない。年齢どおりの大人であるのなら、まず自分の痛みより先に顧客の痛みを、社会の痛みを斟酌(しんしやく)するべきである。

要するに、社会認識のまるでない子供が集まって金をおもちゃにしたあげく、知れきった破綻を招いたのであろう。

だから私は、マスコミがこぞって書き立てるほど、七千人の社員たちが気の毒だとは思わない。気の毒なのはなけなしの金を彼らに托(たく)してしまった庶民であり、もっと気の毒なのは全然関係がないのに、汗水流して納めた税金を、彼らのために使われてしまう国民である。

私事で恐縮ではあるが、昨年は著作が売れて金が入った。3度も死に損なった今までの人生を思えば、涙が出るほどありがたい。だから四の五の言わずに税金はきちんと払う。私を認めて下さった社会に、手を合わせてお返しする。

だが、その金がバブル景気のバカッ騒ぎの結果、知れきった往生を遂げる連中のために使われるのでは、たまったものではない。彼らが有頂天になっていたあのころ、今日という日を夢に見ながら売れもせぬ原稿をセッセと書いていた私の身にもなってくれ。

いいや、私ばかりではない。国民の多くは地価が何倍にはね上がろうが、株価がどう急騰しようが、生活とは何の関係もなかったのである。ごく一部の、当時さんざいい思いをした連中が、放埒(ほうらつ)の果てに会社を潰して、「社員は悪くない」はないだろう。あんな涙は、私も、多くの国民も、毎日流しながら生きてきた。大人の人生というものはそういうものだ。

「ゆうべは女房とローンの返済について相談しました」はないだろう。私も、多くの国民も、そんな話し合いはゆうべどころか毎晩し続けてきた。ふつうの生活というものはそういうものだ。

男子たるもの、失敗や破綻がどんな不可抗力であるにせよ、理不尽な原因があるにせよ、結果はおのれの責任として負わねばならない。他人にわびるより先に身内をかばうなど言語道断、ましてや上司のせいにし、おのれの痛みを公言するなど、稚気(ちき)も甚(はなは)だしい。潰れるべくして潰れたのだろうと私は言いたい。

1998年は多くの企業にとって苦難の年になるであろう。ひとりひとりが大人になって、考えを改めなければ国が滅んでしまう。

激戦中の戦士の皆様に、怒りにまかせた愚痴ばかりでは申しわけない。

 盛世創業垂統(せいせいそうぎょうすいとう)の英雄は襟懐豁達(きんかいかったつ)を以て第一義とし、末世扶危救難(まつせぶききゅうなん)の英雄は、心力労苦(しんりょくろうく)を以て第一義とす。

病み弱まった清国にあって、ほとんど個人の力で太平天国を平定した将軍、曾国藩(そうこくはん)の言葉である。小心翼々として戦(いくさ)の経験もなく、軍人でもなかったこの一官吏は、超人的な「心力労苦」の末に国を救った。

ポジティブで豪胆な襟懐豁達たる英雄の時代は終わったのである。今や心力労苦を以て第一義とする、ストイックで誠実な英雄の登場を、国家は、企業は待望している。

英雄曾国藩は、その時代、まこと数少ない「大人(おとな)」の一人であった。

(初出/週刊現代1998年1月17日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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