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1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第42回。この原稿が書かれたのは、1995年3月20日、「地下鉄サリン事件」が起こった直後だった。オウム真理教の信者たちが丸ノ内線、千代田線、日比谷線の車両内で神経ガス・サリンを散布し、乗客、駅員14人が犠牲となり、約6300人が負傷した事件である。安倍元首相殺害事件以来、旧統一教会に注目が集まっているが、90年代は、暴走する新興宗教に対して、今以上に厳しい目が向けられた時代だったが……。

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「信仰について」

何故若者は新興宗教に走るのか

私の徹底した無信仰については、神も仏もない半生を過ごしてきたせいもあるけれども、そもそも幼時体験に起因するらしい。

わが家の宗旨はとりあえず浄土真宗である。とりあえず、と言うのは、東本願寺に墓所があるので、私が何ら遺言もせずにくたばれば、たぶんその法に従って往生するであろう、というほどの意味である。

檀家となっている寺には昭和46年に祖父が亡くなって以来かれこれ四半世紀も行っていないので、道順も忘れた。東京郊外にある墓地には、5年に一ぺんぐらい草をむしりに行く。

母方は奥多摩の御嶽神社というえらく格式高い神社で、遥かな太古より宮司を務めている。で、嫁入りとともにこの神様もわが家に勧請されたらしく、生家には立派な神棚があった。

しかしわが家は絵に描いたような戦後成金であったので、ひたすらステータスを求めて兄と私を私立のミッション・スクールに入れた。

というわけで、少年時代の私は何だか良くわからん信仰生活を送るハメになったのである。躾けはやかましかった。祖父母の言うなりに、毎朝ナンマイダを唱えて線香を上げ、神棚に灯明を上げて柏手を打ち、登校すれば牧師の説教を聞いて讃美歌を唄った。

こうした幼時体験を持つ人間が長じててんで神仏を怖れぬことばかりするようになったのは、けだし当然のなりゆきと言えよう。

どれかひとつをマジメに祈ると他のバチが当たるんじゃないかと考え、さりとて全部にお願いをするのも無節操なので、形ばかり手を合わせてお茶を濁す。宗教観がこのようであるから、現実生活においても、とりわけ女性からは鬼畜生と罵られることになった。

どうやら宗旨不明であることは、旗幟(きし)不鮮明に通じるらしい。

こういう私にとって、あまたの新興宗教が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する今日の社会はまことに不可解である。宗教の興亡は何も今に始まったことではないが、学びざかり働きざかりのいい若い者があたかもサッカーのサポーターどものごとく教団を構成しているという現状は、どう考えても異常事態に見えるのである。

たとえば、現在世間を騒がせている某教団など、ニュース画面で見たところ信者はほとんど25歳未満に限るという感じである。

さる年、集団結婚式を挙行して人々を驚愕させた教団も、また若い。意味不明のシュプレヒコールを上げて出版社を攻撃したりする教団も若者ばかりである。しばしば保険の勧誘のごとく門付けに現れ、駅頭にパンフレットを掲げて佇立(ちょりつ)する教団は、前者より多少とうはたっているが、それでも一家の主婦、もしくは亭主と覚しき若さである。

不可解である。信仰を通じて子供らに倫理観や情操を扶植する方法は正しいと思う。老人が信仰によって人生を完結する方法はもちろん正しい。しかし自らの汗によって家族を養い、かつ自らも生きねばならない青壮年がかくも宗教に没頭することが、私には全く理解できないのである。

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神仏に頼る若者は幸福である...
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