「取材旅行について」
取材旅行は考える旅である!
矢弾のごとく締切の殺到する月末、二泊三日の行程で取材旅行に出た。
数ヵ月後に連載が開始される「著者初の歴史時代小説」の取材である。
みなさまご存じの通り、顔も体も思想も行動も節操に欠ける私は、当然のごとく書くものにも節度がない。興味のおもむくままに何でも食い散らかしてしまうので、いきおい発表される作品のオビにはたいてい、「著者初の」というキャッチ・コピーが付されることになる。
昨年は「著者初の短篇集」「著者初の恋愛小説」「著者初のミステリー」等を上梓し、今年は「著者初の中世ヨーロッパ世界」「著者初の歴史時代小説」「著者初の近未来SF」等を発表する予定なのである。ために「お祭り次郎」の綽名(あだな)が、近ごろでは「越境作家」に変わり、お友達がいなくなった。
しかし、無節操もこういうたぐいのものになると、口で言うほど簡単ではない。なにしろ舞台が暗転した一瞬に装置も音声も照明も変わり、衣裳も着替えて、まったくちがった脚本の一人芝居を始めるのである。
というわけで、私は旅立つ朝に目覚めたとたん、突如として幕末動乱期の南部藩士に豹変したのであった。
「きょうはどちらへ」
と、おそるおそる私の顔色を窺いながら家人は訊ねた。
「急な所用にて、国表(くにおもて)へ参る。仕度をいたせ」
「ハ? ……パンチ君のおさんぽは」
「何をたわけたことを申すか。ご家老楢山(ならやま)佐渡様より、ただちに帰参せよとの火急の使者が参ったのじゃ」
「……して、おともは」
「版元紀尾井屋の大番頭文右エ門、および番頭好吉が同行いたす」
「それはまた、何とも急な。駿河屋さん、音羽屋さん、朝日瓦版等々の締切が迫っておりますが」
「よきにはからえ」
道中仕度おさおさ怠りなく、ヒゲとサカヤキを整えて家を出た。
江戸表(おもて)より盛岡までは百四十里、およそ13日間の旅程である。
と思いきや、実は東北新幹線でひとっ飛び、わずか2時間30分なのであった。
作家の取材旅行は「考える旅」である。
片方の脳で知識を吸収しながら、もう片方ではたえず物語のイメージを膨らまし続ける。この脳内作業は、たとえば食物の摂取と消化吸収と分解と栄養の蓄積とを、間断なく続けているようなもので、脳ミソも内臓の一種なのだとつくづく思い知らされる。
早い話が不健康な旅なのである。人間の脳ミソというものは思考レベルを高めてしまうと、あんがい制御がきかないので、小説の構想とはもっぱら関係のないことまであれやこれやと考えこんでしまう。
東京駅を出発してすぐ、私はものすごく変なことを考えてしまった。変なことと言ったって何もいやらしいことではない。
「好吉。つかぬことを訊ねるが──」
「へい、何でございましょう。手前どもにわかることでしたら、何なりと」
「ふむ。今しがたふと考えたのじゃが、どうとも合点がいかぬ。心して聞いてくれい。この新幹線『やまびこ』は、秋田新幹線『こまち』と連結しておる。聞くところによれば『こまち』は盛岡駅から在来線の軌道に乗り入れ、秋田城下に至るというではないか」
「へい、おっしゃる通りで。『こまち』は盛岡から田沢湖線に入りますけど、それが何か?」
「面妖じゃ。考えてもみよ、東北新幹線は広軌、在来田沢湖線は狭軌のレールを使用しておるのではなかったか。だのに両者はなにゆえ、手をたずさえて軌上を走ることができるのじゃ」
「……言われてみれば、たしかに」
「であろう。面妖じゃ。元来相容(あいい)れぬはずの広軌と狭軌が何ら蹉跌(さてつ)もなく同一軌上を走るとは、昨今の薩長連合もかくやはと思えるほどの奇々怪々。そちたちはいかが思う」
かくて私たち三人は、国表到着までの間、喧々囂々(けんけんごうごう)たる議論を戦わせたのであった。主張は三者三様で一致せず、また主張というほどそれぞれの意見には自信も説得力もなかった。
大番頭文右エ門はこう主張した。
「それは、盛岡駅で車両の台車を乗せかえるのですよ。広軌用から狭軌用に」
私と好吉は猛反撥した。長い車両のすべてのゲタをはきかえることなど考えられぬ。「こまち」に客は乗ったままなのだし、第一そんな手間をかけるぐらいなら今まで通りに在来線を乗りついだ方がいいに決まっている。
次に番頭好吉の説。
「東京─盛岡間にレールが四本、もしくは三本ついているのでしょう。『やまびこ』が広軌を走り、『こまち』は狭軌を走っているのです」
私と文右エ門は猛反撥した。そんな二人三脚みたいな格好で新幹線が走るなど、とうてい考えられぬ。
そこで私の主張。
「車輪の幅が油圧等の力で変化するのではあるまいか。盛岡駅で切り離すと同時に、『こまち』の車輪の幅がギイと縮まり、在来線の狭軌を走り出すのじゃ」
ブーイングが飛んだ。そんな途方もない技術が可能ならば、とうの昔にリニアは走っている、というわけだ。
盛岡駅に到着したとき、よほど駅員に訊ねようと思ったが恥ずかしいのでやめ、三人で「こまち」の出発を見送った。彼女は台車をかえる様子はなく、二本のレールの上を、こともなげに元の車輪のまま走り去って行った。
面妖である。