果たして雪国の武士たちは何を履いてた?
折しも粉雪の降りしきる城下を歩きつつ、盛岡南部藩の居城に向かう。城郭は明治7年に取り壊され、石垣と濠の一部を残したまま公園となっていた。
雪を踏みながら本丸跡に立ったとたん、私はまた変なことを考えてしまった。もちろんいやらしいことではない。
「好吉。つかぬことを訊ねるが──」
「へい……また、何か?」
「つい今しがた考えたのじゃが、城下のお徒士(かち)はこのような雪の日、いったい何を履いて登城いたしたのであろうな」
小説を書くにあたり、これはきわめて重大な問題であった。
「それはワラグツでしょう」
と、文右エ門。私はたちまちその首を締め、好吉も下剋上の回し蹴りを見舞った。いやしくも二本ざしの武士が、ワラグツを履いてゾロゾロ登城するはずはない。少なくともそんな光景は小説家の美意識が許さない。
「好吉、そちはどう思うのじゃ」
「へい。決まってまさあ、カンジキです」
好吉は深雪のマットに沈んだ。
「手打ちじゃ、そこに直れ」
「まあまあ浅田様。好吉も問われたままに答えただけで。手打ちなどとご無体な。ましてやこの者は紀尾井屋きっての歴史オタク、斬って捨てては代りがおりません。よしなに、よしなに──ときに、浅田様のお考えは?」
私はけっこう自信を持って答えた。
「それは決まっておろう。武士は登城の折といえども常時即応、しかも体面を気にする。ワラジじゃ、ワラジ。雪の冷たさなぞ知らぬそぶりで、日ごろと同様にワラジもしくは草履(ぞうり)を履いておったのじゃ。冷たいの寒いのと言えば士道に悖(もと)る。みな歯をくいしばって雪に耐えたのじゃ」
冬の弱日(よろび)はすでに西の山に消えかかっており、横なぐりの風が粉雪を巻いて吹きつのった。私たちはみな地吹雪の中で氷の彫像となっていた。
「ほう。ワラジでねえ……」
と、文右エ門は軽蔑しきった目で私の足元を見つめた。防寒靴を履いているにもかかわらず、私は絶え間なく足踏みを続けているのであった。
ともあれこの疑問が解けぬうちには「著者初の歴史時代小説」の筆は下ろせぬ。
願わくば、どなたかご正解を。
(初出/週刊現代1998年2月14日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。