健舌満腹家の量と質
食べても食べても満腹しない不思議な胃袋の主がいる。それが白髪三千丈のお国柄ともなればなにやら話もマユツバめいてくるのだが。
中国は胃袋の大きい国でもあるから、巷間伝承の大食漢のお話にはコト欠かない。なにしろ白髪三千丈のお国柄、若干は割り引いて聞いたほうがよろしいようである。
北宋の都、河南省開封に寧陽昌という運送屋がいた。荷車ひきである。寧は酒に酔った勢いから友人と賭けをして、当時市中で人気の高かった焼餅売りの屋台の前で、ゴマをふって中に甘いあんの入ったその焼餅を両手で啖いはじめた。
およそ2時間後、寧の胃袋には200個の餅がおさまった。
「ババア、焼くのがおそいぞ! さっきから口がヒマで眠っとるわ」
大きくふくらんだ腹をさすりながら、寧は呵々大笑して頰張り続けた。
300個目を食べたところで、城の軍司令官がとめに入った。すると寧は司令官に対して、
「俺が国一番の大啖いだと書いた証明書をくれ。それならやめてもいい」
と居直った。頭のいい司令官は承知して、
「寧陽昌は国一番の《健舌腹満家》である」
という証文を書いて渡した。彼は死ぬまでそれをヒラヒラと人に見せて自慢したが、見せられた人はただ笑うばかりで、とうとうその本当の意味を彼に伝えなかった。健舌腹満家とは大ボラ吹きのことである。それにしてもアンコロ餅を300個、聞いてるだけで胸がやけてくる。
※(見出し、本文中の「健舌満腹家」の「満」の字は、原典ではサンズイではなくニクヅキ)
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。