不忍通りの西側。千駄木エリアの核深部へぐいっと入ってみると、閑静な住宅街の中に緑にあふれたスポットが。地元民に愛されている憩いの場所を紹介します!谷根千巡りの穴場ですよ。 歴史的に価値のある公園がそこかしこに 気付くと、…
画像ギャラリー不忍通りの西側。千駄木エリアの核深部へぐいっと入ってみると、閑静な住宅街の中に緑にあふれたスポットが。地元民に愛されている憩いの場所を紹介します!谷根千巡りの穴場ですよ。
歴史的に価値のある公園がそこかしこに
気付くと、千駄木にいる。昔、千駄木に住んでいて、現在の住まいも徒歩圏。日課の散歩は、自然と千駄木に足が向く。気の利いた店々が楽しげで、緑が豊富だからだ。昨年大規模リニューアルした「日本医科大学付属病院」には、緑地公園が誕生!
サクラなどの樹木がキレイに配置された階段を最上部まで登ると、谷根千エリアを見渡せて、なんとも爽快だ。かつて千駄木の地は雑木林で、大量の薪を伐り出したそうだ。その量は1日に千駄にもなったとか。「駄」とは1頭の馬が背負える重さの単位で、約135kg。つまり“木がハンパないとこ”というのが、大昔の千駄木のイメージだ。
江戸城を築城したことで知られる武将・太田道灌が植えた栴檀(センダン)の林があったから、という説もある。千駄木はこの太田氏と縁が深い。彼の子孫が日医大から団子坂までの広大な土地を所有し、下屋敷を構えた。界隈は美しい庭園が広がる風光明媚な地となり、明治期には近隣に夏目漱石や森鴎外ら文化人が居を構えたという。
太田氏の土地の一部は、「千駄木ふれあいの杜」として残っている。この公園がパンチ強め!草木が鬱蒼と茂る様はもはやジャングル。それもそのはず、こちらのコンセプトは樹林をできるだけ手付かずに残すこと。シンボルツリーだった大スダジイが倒れても、あえてそのままに朽ちさせ、また新しい木が育つのを待つという。この“倒木更新”という現象が都会の真ん中で見られるのは貴重だ。
大正から昭和初期の東京山手の庭園と住宅の雰囲気を伝える「旧安田楠雄邸庭園」
水曜と土曜のみ一般公開の「旧安田楠雄邸庭園」は穴場。ここは豊島園の生みの親である実業家・藤田好三郎が建設した邸宅で、のちに安田財閥の子孫のものとなった。大正から昭和初期の東京山手の庭園と住宅の雰囲気を今に伝えるとして、東京都の名勝に指定されている。枯山水の石組みが配された庭の眺めは、贅沢な目の保養。植木屋代がつい気になってしまった庶民感覚は悲しい性だが。
大名の下屋敷だった「須藤公園」
加賀の大聖寺藩の下屋敷だったのが「須藤公園」。池をぐるりと歩いて巡れる回遊式大名庭園の名残が色濃い。起伏に富んだ園内は、ツツジに覆われた小山(登頂可能)や落差10mの滝(高頻度で流れていない)など見どころ豊富。東屋でテイクアウト品を味わうのもオススメ。公園横の坂を登ると突き当たるのが『伊勢五本店 千駄木店』。加賀国(かがのくに)に思いを馳せて、石川の銘酒「遊穂」を手に入れた。やっぱり結局飲んじゃうね、千駄木は。
取材・撮影/渡辺高
※2023年5月号発売時点の情報です。
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