今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。
夏坂健の読むゴルフ その37 早打ちにて早漏!
さながら芝の上の居合抜きのような早さ
ゴルフが誕生した瞬間から、人々は渾身の力でクラブを振り回したに違いない。何しろ地べたに静止したボールに息吹きを与え、可能な限り遠くまで飛ばすのがわれらの使命、力むなと言うほうが無理である。
興味深いことに、史上最初に早振りを戒めたのがスコットランド王、ジェームズ6世だった。のちにイングランド王、ジェームズ1世に就任したこのゴルフ狂の王様は、政治こそ最悪だったが、ゴルフとなると目の色が変わった。
ロンドン郊外に広がるブラックヒース公園のゆるやかな丘陵が、王様には気になって仕方がない。臣下に命じて調べさせたところ、そこは国有地。そこで即座に接収して自ら設計図を引くと、途方もない労働力を注入して2ヵ月後には5ホール完成に漕ぎ着けた。1604年には王子ヘンリーとチャールズの尻を叩いてコースに日参、英才教育に余念がなかった。
「ゲームに際して、以下に述べる金言を忘れてはならない」
王様は、先祖伝来の座右銘をスコットランド訛りで伝えた。
「Slow bawk’ Slow doon.」(ゆっくり上げて、ゆっくり降ろせ)
「Keep your e’e on the ba’.」(ボールから目を離すな)
かくもスコットランド訛りはすさまじく、かつ難解であり、正統なゴルフ用語はズーズー弁によって伝えられたのである。このときの言葉が臣下によって広められ、以後こんにちまで400年近く、スウィングの至言として燦然と輝いている。にもかかわらず、なぜかゴルファーは振り急ぐのだ。
「早い!」
「ヘッドアップ!」
周囲からのお節介、飛び交う罵声にまみれて終わるのがわれらのゴルフ。もちろん、早振りが諸悪の根源と承知しているので、ついに生涯自分のスウィングに自信が持てない。
と、ここに登場するのが救世主ジョージ・ダンカン。早いのなんのって、さながら芝の上の居合い抜きだ。ボールに近づいてクラブを抜き放つまでに3秒、一切素振りせず、構えて打ち終わるまでが3秒。これは「ザ・タイムズ」の記者が2名、ストップウォッチ片手に終日密着して計った数字であり、しかもその日のゲーム終了後、当のダンカンは次のようにコメントしている。
「全英オープンの最終日ともなると、ついプレーが慎重になったよ」
それでいて1920年度のチャンピオンに輝くと、2年後の全英オープンでもウォルター・へーゲンと凄絶な一騎討ち、最終ホール「4」で上がれば優勝という局面で「5」。
「惜しかった。おもしろかった。それではまた来年!」
ゴルフ迷語録集に残るセリフを吐いて、颯爽と引き上げていった。なんとも小気味のいい男である。
1883年、彼はスコットランドのアバディンシャーに警察官の子として生まれた。何しろダンカン一族は3代続くゴルフの名門。彼の父親、つまり警察官ジョン・ダンカンはウェールズ・チャンピオンに輝くこと2回、彼の妻エミリーは女子の部で優勝すること5回。その姉のブランチも5回。ジョンの弟ヒューはイギリス国内の主要タイトル総なめの17勝。早打ちジョージの兄トニーも強くて、ウェールズ選手権に優勝すること4回、1939年の全英アマでは準優勝、1953年のウォーカー・カップではイギリスチームの主将もつとめた。
ほかにもゴルフのうまい親族が26人ほどいて、わかっているだけでもダンカン一族が獲得したビッグタイトルは170個以上。最近では1974年の全英シニア選手権に優勝したマイケル・イボ・ジョーンズが、ブランチの末っ子である。