出家して高野山へ、後に追放
秀信は出家したものの高野山からは迫害をうけて追放となり、山麓の村で慶長10(1605)年に亡くなったといわれます。享年26。
織田信長の孫ということがずっとついて回った人生だったでしょう。七光りのようにいわれ、生涯ただ一度関ヶ原の合戦で勝負に出て裏目に出た。結果は不幸だったけど、彼自身そうは思わなかった。むしろ爽やかな心境だったのではないか、私はそう思います。
【清洲城】
織田信長が桶狭間の合戦の時、今川軍に気づかれぬよう、数騎、また数騎と出撃したことでも知られる清洲城。福島正則なども城主になったが家康により遷府の命が出され、名古屋城の完成とともに廃城になる。現在あるのは模擬天守。
住所:愛知県清須市朝日城屋敷1−1
電話:052-409-7330
清洲城天守閣入城料:大人300円、小人(小中学生)150円※令和6年4月1日から大人400円、小人(小中学生)200円
開館時間:9~16時30分
休館日:月曜日
【織田秀信】
おだ・ひでのぶ。1580~1605年。織田信長の長男信忠の嫡男。幼名は三法師。清洲会議の際、わずか3歳。後に岐阜城主になり関ヶ原の戦いでは西軍につく。東軍の攻撃を受け落城。出家し高野山に入るも、5年後に山から追放され死去。
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」