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2代目ジェミニは完全いすゞオリジナル

初代ジェミニのヒットにより、新たに小型車マーケットで存在感を示すようになったいすゞは、1985年にジェミニをフルモデルチェンジして刷新。駆動方式は初代のFR(後輪駆動)からFF(前輪駆動)にチェンジ。初代のベースとなったオペルカデットは、1979年にFF化されていたが、これとは別物のいすゞオリジナルという点が特筆点だ。

初代ジェミニが4ドアセダンと2ドアクーペの設定だったのに対し、2代目は4ドアセダンと3ドアハッチバックに変更された。エンジンは1.5Lガソリンのみでデビューしたが、すぐに1.5Lディーゼルを追加。

FFジェミニの4ドアセダンモデル。セダンとしてはウェストラインが高くトランク部分が短いショートデッキスタイルでスポーティ

FFジェミニのデザインはイタリアの巨匠、ジウジアーロが手がけたと言われているが、いすゞとしてはいっさい公表していない。そこには大人の事情があったのだろうが、ジウジアーロサイドが公表した。このジェミニのデザインは、同じジウジアーロがデザインした117クーペやピアッツァのような華やかさやエレガントさといったものはないが、ライバルとなるカローラ、サニーとは一線を画すオシャレな感じがしたものだ。あと、イメージカラーのセイシェルブルーもとてもきれいな色で似合っていたし、ペパーミントグリーンやショッキングピンクといったこれまでの日本車にないボディカラーも斬新で、オヤジグルマじゃない感をアピールするに充分。

当時は3ドアハッチバックの人気が高かったため、FFジェミニもハッチバックがメイン。これがイメージカラーのセイシェルブルー

通常フルモデルチェンジすると従来モデルは販売終了となるが、ジェミニは2代目登場後も初代モデルを継続販売。登場時はFRの初代と差別化するためにFFジェミニを呼ばれていた。改めていすゞ広報部に確認したところ、正式車名はジェミニで、FFジェミニは愛称であるとのこと。なので初代が生産終了となった1987年以降はFFが取れて、ただのジェミニとなった。

デビュー時は魅力的には映らなかった!?

FFジェミニが登場した1985年は、日航機ジャンボ機墜落事故があった年と記憶している人も多いだろう。そのほか松田聖子が郷ひろみと破局&その直後に神田正輝と電撃婚するなどビックリさせられたが、殺人事件がテレビで生中継された豊田商事会長刺殺事件は衝撃以外何物でもなかった。

1985年の私といえば、1984年に大学受験に失敗し大学浪人中。けっこう悠々自適な浪人ライフを謳歌していた。高卒の地元の友達はほぼ全員、大学に進んだヤツも続々と運転免許を取得していたが、運転免許は大学に入ってからと決めていた私は、助手席、リアシート要員としていろいろなところにドライブに行った。自分で運転したわけじゃないけど、夜中でも行きたいところに行ける、誰にも邪魔されず好きなところに行ける、というこの時期の経験がクルマ好きをエスカレートさせることになったのは間違いないと思う。

よく言えば奇をてらわずオーソドックスな室内デザインだが、エクステリアに比べると武骨で古典的な感じ

友人たちとのドライブによって街中で見るいろいろなクルマのことが気になりだした。だからFFジェミニがデビューしたのもクルマ雑誌を読んで知っていたが、新型が登場したのね、という程度。

ただ、奇抜なボディカラーによって街中では目立っていたこともあり、友達のクルマでドライブがてら、FFジェミニを見るためにいすゞディーラーに行ったこともある。正確な店舗名は忘れたが、確か山口県の2号線沿いの店だったと思う。展示されていたのは赤のハッチバックで、それをひととおり見て、カタログをもらって帰った(その後は自宅に放置)。私にとっていすゞディーラーに行ったのはこれが最初で最後の経験だ。

1.5Lのインタークーラー付きターボエンジンは後から追加になるが、デビュー時に登場していればもっと若者が飛びついたハズ
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市原 信幸
市原 信幸

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