日本のクルマ史に残る斬新なTV CM
FFジェミニは田舎の10代少年を熱狂させるようなクルマではなかったが、それはある時を機に状況が一変。TVのコマーシャル映像だ。FFジェミニのキャッチコピーは『街の遊撃手。』(途中から句点がなくなった!!)、これはあまりにも有名だ。
FFジェミニといえば、TV CM。間違っていればご指摘いただきたいが、有名なアクロバット走行シリーズが放送されたのは、デビューしてからちょっと後からで(1986年からか?)、デビューした直後は、外国の街並みを走るイメージ映像のごく普通のCMが流されていたと記憶している。
映画『007シリーズ』のカースタントチームを抜擢して撮影されたアクロバットCMは2台並んでのダンス走行や4台並走では車両をリンクで接続していたというものの、それ以外はすべてカラクリなしだったという。今なら合成したり、精緻なCGで作ることは可能だが、FFジェミニのCMはCGを一切使用せず実写だった。原稿を書くに当たり、もう一度見直してみたが、今見てもそのテクニックと発想には驚かされる。YouTubeで「ジェミニ CM」で検索すれば視聴可能。ホントにいい時代だ。
クルマ雑誌の『ベストカー』などでもFFジェミニのCMの検証&再現企画を展開していたのをはじめ、TV番組などでもその凄さがたびたび取り上げられていた。当然のように、クルマの好き嫌い関係なくジェミニが話題になった。予備校仲間、クルマ仲間でもクルマそのものよりも、CMの話で盛り上がったのを覚えている。
一連のシリーズはテストコース(空港?)で2台がダンス走行をした後にエッフェル塔をバックにツインジャンプ、というのが第一弾だったと思う。その後もイケイケのやりたい放題で、10×2列の隊列走行、10台程度のアクロバット走行、川を2台で大ジャンプ、2台で噴水ジャンプ、2台で階段降り、2台で街中を片輪走行、2台で遊園地のメリーゴーランドの隙間を走行し、ジェットコースターのコースを横切り大ジャンプなどなど、視聴者の斜め上を行く発想で見る者を飽きさせなかった。全14作作られたというが、そのすべてが映像作品と呼ぶにふさわしい出来だった。
個人的に一番圧巻だったのは、パリの街中を走行後、地下鉄の階段を下りてホームを走行するというもの。一連のシリーズはクローズドエリアを除きパリで撮影されたという。撮影許可が下りたのがパリだけだったというのが理由のようだが、パリ市には感謝しかない。話題になったクルマのCMはいっぱいあるが、一般ユーザーをここまで心ワクワクさせてくれたものはないんじゃないだろうか。
若い世代にはその凄さ、同時のインパクトがわかりにくいかもしれないが、ネット動画に換算すれば数十億再生って感じのバズり方かな。
【2代目ジェミニ3ドアハッチバックC/C主要諸元】
全長4035×全幅1615×全高1380mm
ホイールベース:2400mm
車重:850kg
エンジン:1471cc、直列4気筒DOHCターボ
最高出力:86ps/5800rpm
最大トルク:12.5kgm/3600rpm
価格:109万8000円(5MT)
【豆知識】
FFジェミニはTV CMばかりが話題になりがちだが、デザイン、ガソリンエンジンと遜色のない性能を誇ったディーゼル、自然なフィーリングのFFのハンドリングなど評価が高かった。斬新なトランスミッションのNAVi5を搭載していたのもトピック。そしてスポーツモデルの存在も見逃せない。オペルのチューナーとして有名だったイルムシャー、同じGM傘下という関係で設定したZZハンドリング・バイ・ロータスなど若者からマニアまでを唸らせるモデルを設定して個性を放っていた。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/ISUZU、ベストカー