松平定知の「一城一話55の物語」

岡豊城の読み方は?「姫」から「鬼」へ初陣で印象が一変した長宗我部元親

岡豊城(「Webサイト 日本の城写真集」より)

『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。今回取り上げるのは、長宗我部元親の居城だった岡豊城。高知県南国(なんこ…

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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。今回取り上げるのは、長宗我部元親の居城だった岡豊城。高知県南国(なんこく)市の岡豊城址は2008年に国史跡に指定されました。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

「岡豊城」が読めなかった新人時代

私がNHKに入って最初に配属されたのが、高知放送局でした。気負った新人アナウンサーの最初のつまずきは、岡豊を「おこう」と読めなかったことです。ほかにも高知には独特の読み方をする地名があります。手結(てい)や百笑(どめき・どうめき)などなど。

長宗我部氏は鎌倉時代に信濃から土佐に移住し、この岡豊城を拠点にしました。ここは高知平野の北端に位置する要害の地。ただし、彼が土佐一国を平定したのは天正2(1574)年のこと。第21代当主・長宗我部元親が土佐国司の一条兼定を倒したことで、ついに実現します。

土佐湾に面した高知県南国市の風景  misumaru51shingo@Adobe Stock

「一領具足」で動員兵力がアップ

それまでの土佐は、応仁の乱の影響もあって「土佐七雄」と呼ばれる群雄割拠の時代が続いていました。この七人の上に、国司として土佐一条氏が君臨していました。

土佐一条氏は、五摂家である一条氏の分家ですが、応仁の乱から土佐に逃れてこの地に土着し、戦国大名になります。同じように公家が武家となった例としては、飛騨の姉小路氏(あねこうじし)や、伊勢の北畠氏があります。

「土佐七雄」のひとりにすぎなかった長宗我部氏ですが、元親の父・国親が「一領具足」という制度を作ったことで、動員兵力が大きくアップします。一領具足とは、普段は農民である地侍たちが、いざ戦闘となれば即座に駆けつける組織のことで、槍の柄に兵糧や草鞋をくくって畦に立てておきながら、田畑を耕したことからそう呼ばれます。

高知県南国市岡豊町の縁切り寺「龍王院」 m-sros@Adobe Stock

幼少時は色白で「姫若子」とからかわれ

長宗我部元親は、天文7(1538)年、岡豊城で生まれました。幼少の頃は色白で、「姫若子(ひめわこ)」と揶揄されますが、初陣でその印象は一変します。長浜合戦と呼ばれる本山氏との戦いで、槍を手に突進して敵兵を突き崩したのです。勢いに乗った長宗我部軍は圧勝し、元親は「土佐の出来人」と賞賛され、敵からは「鬼若子(おにわこ)」と恐れられました。

父の急死を受け当主に

父・国親の急死を受けて当主となった元親は、「一領具足」を存分に活用、周辺の土豪たちを次々に打ち破ります。一領具足によって兵を短時間で集めることができることを生かして電撃戦を仕掛け、戦を有利に運ぶことができました。

その後も元親は勢力を広げ、土佐一条氏の当主・一条兼定を四万十川合戦で打ち破り、土佐の統一を果たすのです。

さらに元親は領地を広げるべく、織田信長と同盟を結んで阿波・讃岐に侵攻し、両国ともにほぼ制圧します。その後伊予にも兵を送りますが、こちらでは地元豪族の抵抗に遭って苦戦。しかし四国の大半は手に落ちました。

高知県南国市岡豊町の毘沙門の滝  m-sros@Adobe Stock

本能寺の変で危機を脱出

それを見た信長は、元親の四国統一が自分に不利に働くと見て、領地を返上し臣下になるよう迫ります。元親はこれを拒否。信長との決戦が迫りますが、本能寺の変で危機を脱出。秀吉が送り込んだ仙石秀久も引田の戦いで撃破し、天正13(1585)年春には、四国をほぼ統一することに成功しました。

しかし、元親の栄華は長くは続きませんでした。秀吉は弟の羽柴秀長を総大将に、10万もの兵で四国に攻め入ったのです。世に言う四国攻めです。この強大な軍を前に、元親は伊予と土佐の安堵を条件に秀吉と和睦を図ろうとしますが、結局土佐一国に押し込められ、秀吉政権の一大名に成り下がりました。そして、秀吉の九州攻めでは、嫡男の信親とともに先鋒として出陣した元親でしたが、難敵・島津軍を前に大敗。期待をかけていた信親も討ち死にしてしまいます。

後継者に指名した四男・盛親はというと、関ヶ原の戦いで西軍につくものの、毛利軍が動かなかったことでその後方に陣していた長宗我部軍もなすすべなし、戦うことなく敗戦となりました。

高知県南国市の才谷龍馬公園  mitumal@Adobe Stock

長曾我部氏は滅亡、山内氏のもとで「下士」として差別されたが…

戦後は、当時の居城であった浦戸城の受け渡しをめぐって浦戸一揆が起こったことで、長宗我部氏は改易。盛親は浪人になってしまいます。その後盛親は、勝利の暁には土佐一国を頂戴することを条件に豊臣方についた大坂の陣でもあえなく敗れ、斬首。これで四国の雄・長宗我部氏は滅亡してしまいます。

長宗我部氏のあと土佐を治めたのは、遠江・掛川から移封となった山内一豊でしたが、山内氏の家臣団は、遠江から連れてきた子飼いの武士(上士)と、長宗我部氏の遺臣である下士とに分かれ、下士は厳しく差別されました。下士のなかでも一領具足の系譜を引く地侍の末裔は郷士(ごうし)と呼ばれる身分に多く、坂本龍馬も郷士の生まれでした。

徳川家に滅ぼされた長宗我部氏の遺臣の末裔たちが、徳川幕府にリベンジを果たしたのが、明治維新という革命です。郷士たちの熱いエネルギーが土佐藩を動かし、薩摩や長州とともに倒幕の力になっていくのですから、歴史はほんとうに不思議なものです。

高知県南国市のトリム広場  mitumal@Adobe Stock

【岡豊城】(おこうじょう)
標高97mの岡豊山にあり、長宗我部氏の居城だった。長宗我部元親は岡豊城で誕生した。長宗我部氏は鎌倉時代初期に信濃から土佐へ移住したとされ、岡豊城は13~14世紀の築城と考えられている。元親は岡豊城を拠点に天正2(1574)年、土佐を平定、さらに天正13(1585)年、四国をほぼ平定した。天正19(1591)年新たに浦戸城を築き、岡豊城は廃城になる。石垣や土塁、空堀が残るだけだが、平成31年2月まで仮設の櫓があり、人気となっていた。

■高知県立歴史民俗資料館
岡豊城跡にある歴史系総合博物館で、長宗我部氏の関連資料や土佐の歴史などを紹介。
住所:高知県南国市岡豊町八幡1099ー1
電話:088ー862ー2211
開場時間:9時 ~ 17時(入館は16時半まで)
休館日:年末年始、12月27日〜1月1日 ※臨時休館あり
観覧料:通常展のみの期間は大人(18歳以上)470円、企画展は大人(18歳以上)520円、高校生以下無料 ※観覧料は特別展・企画展等により異なる場合があります

■岡豊城の竪堀
竪堀は斜面に掘られた堀のことで、戦いの時は本城を守る機能のほか、平時は物資の上げ下げに使われた。

【長宗我部元親】
ちょうそかべ・もとちか。1538~1599年。土佐の戦国大名であり、一領具足の生みの親である長宗我部国親の嫡男で長宗我部氏21代当主。幼少期は色白でおとなしく、「姫若子(ひめわこ)」とバカにされたが、22歳の初陣で槍を持ち見事な突撃を見せ、「土佐の出来人」と称された。その後元親は岡豊城を拠点に天正2(1574)年土佐を平定、さらに天正13(1585)年に四国をほぼ平定した。しかし、同年羽柴秀吉に攻められ降伏。土佐一国を安堵され、豊臣政権下で九州征伐や小田原征伐などに参加。秀吉が亡くなった翌年死去。後継者の四男盛親は関ヶ原の戦いで西軍につき改易、浪人となる。さらに大坂の陣では豊臣方につき敗北、斬首され戦国大名の長宗我部氏は滅亡する。

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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