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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

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身長は低く、あだ名は“ネズミ公使”

飫肥(おび)城は日本百名城に数えられていますが、読者のなかにはこれが宮崎県日南市の城だとご存じの方は多くないかもしれません。ただ、この飫肥城下からは、偉大な外交官が生まれています。小村寿太郎といえば、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約締結時の日本側全権であり、さらには幕末以来の不平等条約、つまり関税自主権の回復を果たした男として知られています。

彼は身長が145cmくらいしかなかったそうで、ロシア人やアメリカ人からは、子どものように見られたでしょう。また容貌も決して優れていたわけではありません。北京に駐在した時には“ネズミ公使”というあだ名をもらっています。しかしその交渉術は誠実で粘り強く、交渉相手国にとってはとてもタフな相手でした。

飫肥城 M・H@Adobe Stock

小藩から官費留学を勝ち取った「郷土の誇り」

今回は飫肥が生んだ日本最高の外交官のひとり、小村寿太郎のお話をしましょう。

小村寿太郎は安政2(1855)年、飫肥藩の下級武士の長男に生まれます。この年はペリーが浦賀にやってきた2年後で、彼がちょうど生まれる頃に不平等条約である日米和親条約、日露和親条約が結ばれています。日本が激動の渦に巻き込まれるのと時を同じくして、小村は育っていくのです。

小村は身体が小さくて病弱でしたが、藩校・振徳堂(しんとくどう)に入学するや勉強に励み、8年間無欠席で通いました。振徳堂を卒業するとほぼ同時に、明治維新となりました。その後は大学南校(後の東大)に進学し、成績優秀によりハーバード大学法学部への官費留学が認められます。飫肥藩という小藩から官費留学を勝ち取った、まさに「郷土の誇り」です。

飫肥城 narutake@Adobe Stock
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陸奥宗光が見込んだ「語学力」と「粘り」...
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松平定知
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