ランドクルーザー100がデビューしたのは和歌山毒物カレー事件の年
ランドクルーザー80の後継として1998年に登場したのがランドクルーザー100。80シリーズを凌駕する高級感はひと目でわかるほどの進化を遂げていた。
ボディサイズは全長4890×全幅1940×全高1860mmは80シリーズよりも全長が短く若干ワイドに。デザインがより洗練されたのは言うまでもないが、オフロードを走れる高級セダンといった快適性、上質感がセールスポイントとなっていた。
1998年は私が『ベストカー』編集部に在籍して4年が経過する頃。周りよりちょっと遅かったが、携帯電話を持ち始めたのもこの頃だった。ルーズソックスを履いたコギャルがまだ街中で幅を利かせていたけど、事件モノの好きな私にとっては和歌山毒物カレー事件が起こった年として記憶に残っている。事件発生から丸25年が経過するのか……。
社会的には『コンピュータの2000年問題』に関して財務局が金融機関に通達を出したのも1998年で、21世紀を意識し始めたころだった。
100シリーズは初のV8エンジン搭載
ランドクルーザー80シリーズで世界的に高級クロカンとして認知されたが、ライバルに対し明らかに見劣りしていたものがあった。それがエンジンで、ライバルが高級なV型8気筒エンジンを搭載しているのに対し、ランドクルーザーは直列6気筒エンジンだった。
新開発の4.7L、V型8気筒エンジンが搭載されたのがランドクルーザー100の最大のトピックだ。シリンダーの数が多ければいいわけではないが、スムーズさで定評のあったランドクルーザーの直列6気筒エンジンとは次元の違う滑らかな回転フィールとパンチ力はランクルシリーズに新たな魅力を加えたのは間違いない。
クルマは進化を続けるが、ランドクルーザーシリーズにおいては、80シリーズで高級路線にチャレンジし、100シリーズで現在まで続くステイタスの構築に成功した。オフロード性能よりもオンロード性能、高級感、快適性などを重視する日本ではそれが顕著だった。
100シリーズは盗難被害が続出
100シリーズでより高級になったのだが、前述のとおり盗難被害が続出するようになったのが悲しいところ。プロの窃盗団たちは盗んだランクルをバラして海外に持ち出すというのが常套手段だった(今でもそう)。
実際に『ベストカー』で撮影の仕事をお願いしていたカメラマンも、80から新車の100に乗り換えてすぐに羽田空港の駐車場で被害に遭った。詳細は秘すが、サイドウィンドウを割られて、クルマを持ち去られたという。
80&100シリーズは都内では乗れない!?
ランドクルーザー80、100シリーズはガソリン車、ディーゼル車があるが、中古車で販売されているのはほとんどがガソリン車となっている。それはなぜか?
それに関係するのがディーゼル規制だ。ランドクルーザー80、100ともディーゼルエンジンを搭載した1ナンバー車があるが、これらのモデルはディーゼル規制の対象となる。
ディーゼル規制とは国が定める『自動車NOX・PM法』と東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、兵庫県、大阪府が定めている『条例規制』の2つがあり、ランドクルーザー80、100のディーゼルエンジン搭載車はどちらの規制にも不適合。つまり新規登録ができないし、条例規制地域では他府県で登録したクルマでも走ることすらできないのだ。
ディーゼル規制に新たに適合させることは可能だし、ガソリンエンジンに乗せ換える人もいるが、いずれも100万円レベルのお金がかかる。
中古のディーゼル車も販売されているが、規制に適合させたモデルかそうでないかを確認しないと、買ったけど乗れないということもあるので注意が必要だ。古いランドクルーザーを購入する場合は、信頼できる専門店以外では買わない、というのが鉄則だ。
【ランドクルーザー80主要諸元】
全長4970×全幅1900×全高1900mm
ホイールベース:2850mm
車重:2220kg
エンジン:3955cc、直列6気筒OHV
最高出力:155ps/4200rpm
最大トルク:29.5kgm/2600rpm
価格:369万円(4AT)
【豆知識】
ランドクルーザー250はランドクルーザープラドの実質後継モデル。ボディサイズは全長4925×全幅1980×全高1935mmで、ランドクルーザー300に匹敵する大きさ。エンジンは2.8Lディーゼルターボ(204ps/51.0kgm)と2.7Lガソリン(163ps/25.1kgm)の2種類の設定。乗車定員は7名がメインで、2.8Lディーゼルにのみ5人乗りが設定される。価格はディーゼル車が520万~735万円、ガソリン車が545万円となっている。月販基準台数が2250台なので、注文が殺到することにより納期の長期化が予想される。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/TOYOTA