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80シリーズは高級路線の礎

ランドクルーザー300系モデルの人気が高いのはその高級感にある。ランドクルーザーシリーズは1951年に登場したトヨタジープBJ型(1954年にランドクルーザーに改名)以来、「行きたいときに、行きたいところに行って、必ず帰ってこられる」をポリシーにクロスカントリーカーとして悪路走破性と耐久性が与えられ『世界のランドクルーザー』の称号を得るまでになった。

1951年登場のBJシリーズでランクルの歴史が始まった

そのランドクルーザーに街中での快適性と高級感が初めて与えられたのが80シリーズだったと言っていいだろう。クロスカントリーカーから今でいうSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)に舵を切った画期的なモデルだ。

クロカン=四角いという常識を打破したエクステリアデザインの80シリーズ

新しさを感じさせたデザイン

ランドクルーザー80は1989年10月の東京モーターショーで初公開された後、同年12月に60系の後継車として正式発表された。1989年といえば、トヨタセルシオ、マツダユーノスロードスター、日産フェアレディZ、日産スカイラインGT-Rなどがこぞってデビューした日本車のビンテージイヤーと呼ばれる特別な年だが、そのしんがりを飾ったのがランドクルーザー80だったのだ。

デザインは洗練されたがクロカンの証である背面タイヤは健在

実は私がランドクルーザーとの初対面は1990年、大学を留年して自動車雑誌『ベストカー』でアルバイトとして働いていた時だ。ランドクルーザー80、日産サファリ、ランドローバーレンジローバー、メルセデスベンツGクラスのライバル対決企画だったと思う。

ライバル車が武骨で四角いデザインを纏っているのに対し、ランドクルーザー80の新しさは際立っていた。クロスカントリーカーは四角いデザインという常識を覆した丸みを帯びたデザインは異彩を放っていた。

クロカンとは思えない快適性

ランドクルーザー80のボディサイズは全長4970×全幅1900×全高1900mmで、当時の私からすれば山のように大きく見えた。それを撮影のため自走して箱根ターンパイクに向かうにあたり、こんなクルマを運転できるのか? と正直怖かった。当時のクルマとしてはレベルの違う大きさだったのだ。

キャラクターの高級化に合わせて室内の快適性も大幅に向上

しかし実際に乗り心地はいいし、静かで快適。乗ったこともないのに雑誌の情報の受け売りでクロスカントリーカーはトラックの延長というイメージを持っていた私にとってはまさに異世界の体験でカルチャーショックを受けた。

デビュー時は賛否あったがマニアも納得

実はランドクルーザー80がデビューした時に、快適性を重視したコンセプトに対しランクルマニアは懐疑的というか否定的な意見も多かった。

実際に漁師をやっている私の叔父(母親の弟)はランクル60を仕事、普段のアシとして使っていたが、「80はランクルではない!!」と完全否定していた。しかし実際に乗ってみると60との違いに驚愕して1992年頃に新車で購入して、現在も乗り続けている。30万km超を走っているその叔父曰く、「エンジン、ミッションはまったく壊れんよ」、その信頼性に偽りはなく天晴!!

オンロードでの快適性を手に入れた80だがオフロード性能の高さでマニアを魅了

クロカンブームでも特別な存在

初代三菱パジェロ(1982~1991年)、初代日産テラノ(1986~1995年)の人気に加え、2代目トヨタハイラックスサーフ(1989~1995年)の登場で一般にもクロスカントリーカー(通称クロカン)が認知されるようになった日本。1991年の2代目パジェロの登場でクロカンブームが決定的となった。当時は街中にスペアタイヤを背負ったクロカンがあふれ、のちには初代トヨタRAV4、初代ホンダCR-Vといったシティクロカンも増殖していったが、ランドクルーザー80は孤高の存在といった感じで他とは一線画していた。

シルバーとワインレッドのツートーンカラーが高級感を倍加させていた
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ランドクルーザー100がデビューしたのは和歌山毒物カレー事件...
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市原 信幸
市原 信幸

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