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ワニを食す!!

ワニ料理といえばレッドロブスターも思い出深い。私が行っていたのは、レッドロブスターの日本第一号店の六本木店だが、ロブスターは貧乏学生には高価だったのでいつも食べていたのがワニのフライ。3~5ピースでル500~600円くらいだったと思う。ルイジアナ産のアリゲーターにスパイシーな衣をまぶしてガリッと揚げた逸品。ケンタッキーの胸肉のフライドチキンを食べているみたいな味、食感で、そのまま食べてもサルサソースに付けても美味だった。食べると「ワニを食べましたよ」の証明書を発行してくれた。

アメリカのレッドロブスターの運営会社が破産。しかし日本のレッドロブスターはフランチャイズ契約はしているが、別運営のためまったく問題ないという。今後も個性派レストランとして非日常を楽しませてもらえるということでひと安心だ。

ワニは鶏胸肉やササミのような淡白な味

セルシオは買い得感が高かった

話を初代セルシオに戻す。初代セルシオは3グレードを設定していた。車両価格はA仕様:455万円、B仕様:530万円、C仕様:550万円、C仕様Fパッケージ:620万円。C仕様のFパッケージは、後席の快適性を高めたモデルという位置づけだった。基本的にグレード間は装備の違いがメインとなっていたが、一番人気は圧倒的にC仕様(Fパッケージ含む)。高級車の廉価版なんぞ買いたくない、買うならトップグレードというユーザーの心理が出たのだろう。

初代セルシオはエアロダイナミクスにこだわり、ボディの面だけでなくピラー形状などにもこだわっている

ちなみにライバルとなるベンツ、BMWのモデルの価格は以下のとおりで、車格はSクラス、7シリーズで、価格はその下のEクラス、5シリーズということで買い得感が高かった。

メルセデスベンツ
・230E:534万円
・300E:657万円
・300SE:793万円
・420SEL:1075万円

BMW
・525i:533万円
・535i:698万円
・735i:873万円

初代セルシオの登場によって、ベンツSクラスの日本での販売はそれほど影響は出なかったが、北米では大きな打撃を受けたもよう

今でもセルシオ復活を望む声が高い

初代セルシオが高級車の新たなスタンダードを確立したことは事実だ。日本では500万円以上する高級車がビックリするくらい売れ、人気となったのも事実。その一方で、ベンツSクラス、Eクラス、BMW7シリーズ、5シリーズの日本での販売に影響を与えたかと言えばそうでもないと思う。ベンツ、BMWからの乗り換えも確かにあったが、初代セルシオを買った人の多くはトヨタ車オーナーの上級移行がメイン。

しかし、北米市場ではまったく事情が違い、レクサスLS(初代セルシオ)がベンツ、BMWを駆逐し、続々とユーザーをかっさらっていったのだ。

2006年にLSが販売されることになり、セルシオの名前は消滅してしまった(写真は3代目)

初代セルシオの登場によってベンツ、BMWが脅威を感じてクルマ作りまで変えてきたというのは北米でのLS人気が契機となっている。日本人にとっては新たな高級車という感覚しかなかったが、北米での評価、影響力は日本人が考えている以上に絶大だったのだ。

日本でのセルシオは初代が1989~1994年、2代目が1994~2000年、3代目が2000~2006年の3モデルを販売したのみ。2006年から日本でレクサス車を販売することになり、レクサスLSに取って代わられた。

一時クラウンマジェスタがトヨタブランドのフラッグシップセダンの座を受け継いだが、セルシオの復活を願う声はいまだに高い。

レーシングドライバーの津々見友彦氏は初代セルシオを新車で買ってずっと大事に乗り続けていらっしゃった。このように大事に乗り続けている初代オーナーは多い

【セルシオC仕様主要諸元】
全長4995×全幅1820×全高1400mm
ホイールベース:2815mm
車重:1350kg
エンジン:3968cc、V型8気筒DOHC
最高出力:260ps/5400rpm
最大トルク:36.0kgm/4600rpm
価格(東京地区):550万円(4AT)

【豆知識】
日産のプレミアムブランドのインフィニティ第一弾として1989年11月に日本デビュー。セルシオが4L、V8に対しQ45は4.5L、V8を搭載。当時901運動を展開していた日産らしく、走りのいい高級車というコンセプトで開発された。次世代技術と騒がれたアクティブサスを市販化するなど意欲的だった。センターに七宝焼きエンブレムを装着したグリルレスのフロントマスクは賛否が分かれた。販売面ではセルシオに対抗できず苦戦。

インフィニティQ45は販売面では苦戦したがチャレンジングだった!!

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、NISSN、HONDA、MERCEDES-BENZ、BMW、ベストカー

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市原 信幸
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