「相手に期待すること」とは「理想の人物像を押し付けること」
人生とは、誰かと何かを与え合えるもの。
与えても与えても返ってこなければ、愛想尽かされることだってあるけれど。
かくいう私も、これだけやってあげたのに、と思って、勝手に相手へ期待をして、それに対して返ってこないことに冷めてしまったこともある。
御令嬢が「あれをやって欲しい」「ここに連れて行って欲しい」というので、やってあげるを繰り返しているうちに(あれ、なんだかこの関係性って私が一方的に何かをしてあげているだけなのでは?)と思うようになってしまった。
本来であれば、仕事でもないのだから、リターンを求めて行動をしている訳でもないのに。
私自身がしてあげたいから「やって欲しい」と言ったことを行動に移しているのに、どこか被害者意識を持つようになってしまったのだ。
私も子供だったんです。
相手に期待をしている時点で、自分の求める理想の相手像をパートナーに押し付けてしまっていることに気づかなかったんです。
それで失敗してしまった立場から言わせてもらうと、好きだから付き合うのはいいけれど、期待はしてはいけない。
優しさを貰ってばかりで負い目があるのであれば、こちらも“やってあげたい”と思うことを、してもらったこととは別の形で何かを与えてあげればいいのではないでしょうか。
ただ、重ねて言うように、そこに恩着せがましさを含まないように気をつけましょうね。
例えば、食べ終わった食器を洗ってくれたり洗濯をしたり、生きるのに必要な行為を自分の分まで彼が担ってくれているのであれば。
それら以外のもので、やってあげたいなと自発的に思うことで相手に何かを与えられることを精力的にしてあげられると良いですね。