「上皇陛下の思い、55の島々をご訪問(2)」では、数少ないお召船の運航実態や、天皇在位中の離島ご訪問の締めくくりとして、2018(平成30)年に訪れた「北海道利尻島」と「沖縄県与那国島」でのご様子について、振り返ることにしたい。
画像ギャラリー「島々へのご訪問(2)」では、数少ないお召船の運航実態や、天皇在位中の離島ご訪問の締めくくりとして、2018(平成30)年に訪れた「北海道利尻島」と「沖縄県与那国島」でのご様子について、振り返ることにしたい。
お召船(おめしせん)を利用して
本土からほど近い島々へのご訪問には、船舶を利用することもある。1999(平成11)年の奥尻島、2004(平成16年)の小豆島、2007(平成19年)の玄海島と、平成年間には3回ほどあった。
奥尻島へは東日本海フェリー「アヴローラおくしり」(瀬棚港フェリーターミナル~奥尻港フェリーターミナルを往復)、小豆島へは小豆島フェリー「スーパーマリン2」(高松港→内海港、土庄港→高松港)、玄海島へは福岡市営渡船「きんいん3」(中央ふ頭イベントバース→玄海島港桟橋、大津港桟橋→烏丸半島船着場=からすまはんとうふなつきば)を、それぞれご利用になった。両陛下がご乗船になる船舶は、大・中型船であればメインマストに、小型船は艇首に「天皇旗(てんのうき)」が掲げられ、「お召船」と呼ばれる。
「遠隔の地や島々への旅も天皇の象徴的行為として大切なもの」
退位が近づいた2018(平成30)年は、上皇陛下のおことば「遠隔の地や島々への旅も天皇の象徴的行為として大切なもの」にふさわしい、南と北の離島へのご訪問が実現した。北海道利尻島は、当初、2011(平成23)年に訪れる予定だったが、東日本大震災により延期となり、翌2012(平成24)年は、上皇陛下の心臓バイパス手術があり、再び見送られた経緯がある。与那国島も当初、2011(平成23)年に計画されていたが、同様の理由で見送られた。2018年の旅では、どちらの島もはじめてのご訪問でありながら、いずれも日帰りという限られた時間での旅となった。
3月の与那国島では、まずは3月27日に沖縄本島を訪れ、沖縄平和祈念堂と国立沖縄戦没者墓苑で拝礼された。翌3月28日に、那覇空港から日本トランスオーシャン航空の特別機(お召機)で、与那国島へと向かった。到着した与那国空港では、大勢の島民から出迎えを受けられた。
最初に訪れたのは、在来馬の与那国馬を放牧する「東牧場」。上皇陛下は馬の鬣(たてがみ)をなでながら「ずいぶん(馬体が)小さいね」と話され、子どもの頃に宮古島の在来馬に乗られことを思いだされているご様子だった。
日本最西端の岬「西崎(いりざき)」へ向かわれる途中では、同町の漁業協同組合へお立ち寄りになり、その日の朝に水揚げされた「巨大カジキ」をご覧になられた。魚類学者である天皇陛下(当時)は、説明役の漁業組合長に熱心にご質問をされる姿も。その後、午後5時前、与那国空港から那覇市(沖縄本島)へと戻られた。
8月に訪れた利尻島では
上皇ご夫妻は、当時の天皇、皇后両陛下として、「北海道150年式典」ご臨席のため、2018(平成30)年8月に北海道を訪れることになり、あわせて「利尻島」へも足を延ばされることになった。同年8月3日に札幌入りされたのち、翌8月4日に札幌市の丘珠空港からジェイエアの特別機(お召機)で空路、利尻島へ向かわれた。利尻空港に到着されると、さっそく、利尻町ウニ種苗生産センターを視察された。
ご昼食をはさんで利尻富士町にある「オタトマリ沼」へと移動されたご夫妻は、説明者から利尻島最大の湖沼の歴史をお聞きになり、ときおり、質問をまじえながら大きくうなずかれるなど、関心を強く持たれたご様子だった。その後、湖畔へと歩みを進められ、間近に見る湖沼と利尻富士をご覧になった。
お帰りの際は、島の南東にある二石海岸(ふたついしかいがん)をご散策になり、午後5時過ぎ、利尻空港から札幌市へと戻られた。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。