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■しんどくたって、今日より明日がマシになるなら

 もしあなたの家にレコーダーがあるなら、リモコンを手に取ってつぶさに眺めてほしい。そしてそこに「巻き戻し」の文字がないことに気づいてほしい。同時にあなたは、録画した番組や映画を視聴する時に、いまだ「巻き戻す」という言葉を使っていないだろうか。実は巻き戻しというワードは、ビデオテープから円盤、さらにはハードディスクに移行したレコーダー側から、とっくに絶滅している。

 もしあなたの家に電子レンジがあるなら、冷蔵庫の食べ物を温めてほしい。そして温め終わりを知らせるレンジの音に、耳を澄ませてほしい。同時にあなたはレンジで温める所作を「レンチン」と称していないだろうか。

 実は電子レンジはとっくにチンなんていわなくなっている。ピーとか「できあがりましたよ」と音声であなたに案内しているのだ。ついでにいうと、温め中に皿が回転することもめっきりめずらしいものになっている。

 なにをいまさらと感じる人はそれでいい。しかし巻き戻しの喪失や、チンの不在にあらためて気づいた人は、今後は自分の認識を少し疑ってかかったほうがいいと思う。人間は平気で、ないのにあると思うし、聞こえない音を聞く。あってほしいという欲望は思いのほか強固で、私たちは家電にさえ、幻視し幻聴するのだ。

 もしかしたらその認識の齟齬が、世代間の断絶や他者への無自覚な傷つけをもたらしているのかもしれない。ハラがないような場所でも、アップデートすべき場所はいたるところにある。しんどくたって、今日より明日がマシになるなら、そこは踏み出すべきなのだ。

 そういいつつ、私はレンチンの呪縛から自由になれないでいる。つい「チンする」とか「チンして」を使ってしまう。これほど明瞭で、澄み切った音もめずらしいから、私はずっとレンジにチンを幻聴しているのだ。

 そういえばレンジのできあがり音に、自転車のベルと同じチンの音を世界ではじめて採用したのはシャープである。いまから56年ほど前のことだ。半世紀を経てなお音が消えた後も言葉の音として残るのだから、チンは慧眼な機能だなと、私は幻聴するたびに思うのだ。

文・山本隆博(シャープ公式Twitter(X)運用者)
テレビCMなどのマス広告を担当後、流れ流れてSNSへ。ときにゆるいと称されるツイートで、企業コミュニケーションと広告の新しいあり方を模索している。2018年東京コピーライターズクラブ新人賞、2021ACCブロンズ。2019年には『フォーブスジャパン』によるトップインフルエンサー50人に選ばれたことも。近著『スマホ片手に、しんどい夜に。』(講談社ビーシー)

まんが・松井雪子
漫画家、小説家。『スピカにおまかせ』(角川書店)、『家庭科のじかん』(祥伝社)、『犬と遊ぼ!』(講談社)、『イエロー』(講談社)、『肉と衣のあいだに神は宿る』(文藝春秋)、『ベストカー』(講談社ビーシー)にて「松井くるまりこ」名義で4コママンガ連載中

■シャープさんの「家電としあわせ」シリーズ

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山本隆博
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