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「乃可勢(のかぜ)」という笛の意味とは

ところが時代が300年ほど下った昭和59(1984)年、思いもかけず忠輝の罪が許される日がきます。忠輝の墓のある諏訪市の貞松院には信長、秀吉、家康と渡ってきた「乃可勢(のかぜ)」という笛が保管されていて、家康から忠輝に形見として授けられたという話があります。その真偽はわかりませんが、貞松院の住職が「忠輝公が赦免してほしいと夢に現れた」と徳川宗家の第18代・恒孝(つねなり)氏に語り、赦免にこぎつけたのでした。

翻弄され続けた忠輝の人生ですが、家康、秀忠は、舅の伊達政宗がその家臣である支倉常長をスペイン、ローマに派遣したことで、政宗を、のちのち幕府に刃向かうかもしれない存在として不気味に思っていたのは間違いありません。忠輝“排除”原因のひとつをそこに見ることもできます。特に妻の五郎八姫(いろはひめ)はキリシタンであったことも、家康、秀忠の疑いを濃いものにしたはずです。

思いもよらぬ罪を70年近くも着せられた忠輝ですがそれゆえに「乃可勢」のエピソードは、とてもほっとする話です。

高田城址公園の夜景 Photo by Adobe Stock

【高田城】
徳川家康の六男・松平忠輝の居城として天下普請(徳川幕府が諸大名に命じて工事をさせること)によって築城。工事の総監督は忠輝の舅でもあった伊達政宗。すべての曲輪に土塁が採用され、石垣のないのが特徴。わずか4カ月で完成し、天守はなく三重櫓が代用された。三重櫓は平成5(1993)年に再建。現在は桜の名所として知られ、日本三大夜桜のひとつとされる。
高田城三重櫓入館料:一般310円、高校生160円、小・中学生(市外)160円
入館時間:9~17時(4月~11月)、10~16時(12月~3月)
休館日:月曜(月曜日が祝日のときは翌日)、祝日の翌日、12月29日~1月3日、1月・2月の月曜日~木曜日(祝日は開館)※注:観桜会・ゴールデンウィーク期間は無休、その他臨時休館あり
住所:新潟県上越市本城町6ー1(高田城址公園内)
電話:025-524-3120(上越市立歴史博物館) 

【松平忠輝】
まつだいら・ただてる。1592~1683年。天正20(1592)年、徳川家康の六男として江戸城で誕生。幼名は辰千代(たつちよ)。家康はなぜか忠輝を嫌い、面会したのは慶長3(1598)年になってからだった。下総佐倉5万石、信濃川中島12万石などで大名を務め慶長15(1610)年に越後高田に移封となり、川中島12万石とあわせ75万石の太守となる。その後も家康との距離は縮まらず、慶長20(1615)年の大坂夏の陣で総大将となるも、遅参したとの理由で改易となり、天和3(1683)年に幽閉先の諏訪高島城で死去。92歳と異例の長寿だった。墓所は長野県諏訪市の浄土宗、貞松院(ていしょういん電話0266-52-1970にある。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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