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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

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宇喜多直家の次男として出生

関ヶ原の戦いは、負けた西軍の武将の人生を大きく狂わせました。なかでもこの宇喜多秀家ほど、数奇な運命をたどった人物はいないでしょう。宇喜多秀家は宇喜多直家の次男として生まれます。

この秀家の父、直家は主君を追放し、ライバルを暗殺するなど謀略を繰り返し、備前、備中、美作の三国を支配するようになります。直家は、毛利と織田の関係が悪化すると、当初、毛利に味方しますが、織田に勢いがあると見るや織田方に寝返ります。こういう生き方から彼を梟雄という人もいます。この直家は天正9(1581)年、病で急死。9歳の秀家が家督を継ぐことになります。

岡山城 Photo by Adobe Stock

秀吉と“親子関係”に

実は、直家は毛利攻めの司令官だった羽柴秀吉に、息子・秀家の将来を託しています。それゆえに秀吉は秀家を猶子(ゆうし)とします。猶子とは家督や相続と関係のない親子関係のことで、子どものなかった秀吉は秀家をたいそうかわいがりました。そして、親友の前田利家の娘で、自分の養女にしていた豪姫を、秀家のもとに嫁がせることにします。

良き伴侶を得た秀家は、秀吉の天下統一のため大いに働き、秀吉が亡くなる直前には五大老に抜擢されます。その頃に完成したのが岡山城で、金箔瓦を頂く五重六階の豪壮な天守は、57万4000石の太守にふさわしいものでした。

岡山後楽園の向こうに岡山城が見える Photo by Adobe Stock
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薩摩の島津に落ち延びたが…...
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