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半世紀も八丈島で暮らす

豪姫は寛永11(1634)年秀家や息子との再会を果たすこともなく、金沢城で亡くなります。秀家が天寿を全うするのは明暦元(1655)年ですから、実に50年近い歳月を八丈島で過ごしたことになります。享年83でした。

豪姫との再会がかなわなかった秀家ですが、平成9(1999)年、岡山城築城400年を記念し、八丈島に二人のひな人形のような像が建てられました。二人にとってほぼ“400年ぶりの再会”でした。

岡山城の夜景 Photo by Adobe Stock

【岡山城】(別名・烏城[うじょう])
慶長2(1597)年、豊臣政権の中枢を担っていた宇喜多秀家が当地にあった石山城を8年かけて大改修し、完成させた。金箔瓦を使用した五重六階の天守を持ち、天守の外壁には黒の下見板が使われたことから「烏城」の別名を持った。戦前は国宝だったが、空襲で焼失。昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された。城主の権威を示す書院造りの居間があり、初期の天守閣の特徴を伝えている。
開館時間:9時~17時30分
岡山城天守閣入場料:大人400円、小・中学生100円(岡山後楽園との共通入城券720円、岡山後楽園・林原美術館との共通入城券1120円、岡山後楽園・夢二郷土美術館との共通入場券1360円)
住所:岡山市北区丸の内2ー3ー1
電話:086ー225ー2096

岡山城 Photo by Adobe Stock

【宇喜多秀家】
うきた・ひでいえ。1572~1655年。謀略によって勢力を拡大した宇喜多直家の次男として生まれ、父の死去により9歳で家督を継ぐ。毛利征伐に来た羽柴秀吉に気に入られ、猶子(家督や相続にとらわれない親子関係)となる。秀吉の天下統一に貢献し備前、美作など57万4000石の大大名となる。前田利家の娘・豪姫を正室とし、五大老のひとりとなるなど、隆盛を極めたが、関ヶ原の戦いで奮戦空しく壊滅。前田家や島津家の嘆願もあって助命、八丈島に流され84歳まで生きた。

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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