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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

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「鎖国」が完成

島原の乱は、天草四郎という美少年が中心となったキリシタンの叛乱と思われていますが、事実は重税に耐えかねた農民たちに、迫害されたキリシタンが加わった一揆というのが事実です。ただ、日本史を振り返ると節目となる大事件だったことがわかります。

天文12(1543)年、種子島に鉄砲が伝えられ、キリスト教も伝来。この頃から日本は西洋に触れるわけですが、島原の乱が鎮圧された翌年の寛永16(1639)年、江戸幕府はキリスト教の厳禁とポルトガル船の来航禁止を決め、いわゆる「鎖国」が完成するのです。

見方を変えれば、このわずか100年足らずが西洋文化に触れた期間で、以来嘉永6(1853)年、ペリー艦隊が浦賀に来るまで、日本は世界のなかで独自の道を歩むことになります。その意味で島原の乱は、西洋との付き合いを断ち切る大事件だったのです。

原城跡 Photo by Adobe Stock

贅沢好きの大名が重税を課した

島原の乱は、島原藩の松倉勝家と、唐津藩の飛び地だった天草諸島を治めた寺沢堅高の苛烈な税の取り立てに農民が蜂起して始まりましたが、そこに小西行長や加藤忠広、佐々成政といった大名の改易で発生した浪人たちが加担したことで、大きなうねりとなりました。

島原の地は、雲仙岳の火山灰で土地が痩せているにもかかわらず、松倉勝家という贅沢好きの大名が、島原城の新築や江戸城普請のお役目のため、領民に重税を課しました。子どもが生まれれば人頭税、いろりを作ればいろり税という具合に、ことあるごとに税を搾り取るのですからたまりません。

さらにここはキリシタン大名・有馬氏の領地で、キリシタンが多かったのですが、幕府の大弾圧を受けます。いっぽう天草は、キリシタン大名・小西行長が治めていた地で、こちらは寺沢氏から弾圧を受けていたキリシタンたちが一揆に加わって、大きな勢力となったのでした。

原城跡の石垣 Photo by Adobe Stock
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松平定知
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