内通者だけが生き残った
籠城して88日目、ついに幕府軍の総攻撃によって原城は落城。幕府軍と矢文で内通していた山田右衛門作(やまだえもさく)のみが生き残ったという、凄惨なものでした。
天草四郎も討ち取られますが、幕府側が四郎とわからず、捕らえられていた四郎の母にいくつもの首を見せ、ひとつの首を見て泣き崩れたことで四郎とわかったという話が伝わります。島原の乱以降、キリスト教の禁教を強化、信者たちは隠れキリシタンとして潜伏し、長いキリスト教受難の時代が始まります。
【原城】(別名・日暮城)
明応5(1496)年、この地を治めた有馬貴純の築城とされる。三方を有明海に囲まれた天然の要害だった。有馬氏が転封になると、松倉重政が当地を治めたが、一国一城令により島原城が築城され、原城と原城からほど近い日野江城は廃城となった。松倉氏が治めた島原藩の領民と対岸で唐津城主の寺沢氏が治めた天草諸島の領民が圧政と重税、キリシタン迫害に耐えかねて起こした農民一揆が島原の乱で、3万7000人が原城に籠城したと伝えられている。長崎と天草地方のキリシタン関連遺産として2018(平成30)年に世界遺産に登録された。
住所:長崎県南島原市南有馬町
電話:0957ー65ー6333(南島原ひまわり観光協会)
【天草四郎】
あまくさ・しろう。1621~1638年。キリシタン大名で関ヶ原の戦いで敗れた小西行長の遺臣・益田甚兵衛の子として天草諸島の大矢野島に生まれる。本名は益田四郎時貞、洗礼名はジェロニモ。神童として人々の崇敬を集め、多くの奇跡を起こしたとされる。島原の乱が勃発すると総大将として農民一揆を指揮、廃城となっていた原城に3万7000人が88日間籠城するも落城。四郎も斬首された。
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」