バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第122回は、「お買い物について」。
ピアノに電動式ブツダンにワーゲン・ポロ?
1997年3月31日。月曜日——。
常ひごろから目覚めの良い私は、その朝7時、いつに増してパッチリと目を覚ました。
(いかん、寝ている場合ではない)と考え、ベッドからはね起きるやいなやたちまち服を着、ベランダに走り出て気合を入れるための「自分ビンタ」を10発もくれた。
べつに重大な締切を控えていたわけではない。手形の決済日でもなく、父の命日でもなく、皐月(さつき)賞はまだ先であった。
しかし私は、少くとも半年前からはっきりとこの日付を意識していたのである。3ヵ月前には肝に銘じており、1ヵ月前からはほとんど秒読みのような心境になっていた。
仕事にかまけて、とうとう心の準備の整わぬまま、今日という日を迎えてしまった。いかに睡眠不足とはいえ、寝ている場合ではなかった。
洗面所は大混乱であった。家人も娘も老母も、ついに訪れた今日という日の始まりに、燃え立つようなファイトと緊張感を漲(みなぎ)らせていた。
「パパ、これだけはお願いします」
と、娘は言い、メモ用紙を私に手渡した。
「だめだ。自分のことは自分でしろ、とてもおまえまで手が回らない」
「でも、大きい物は車でしか運べない」
メモを見ると、とんでもない物が書いてあった。
「な、なんだこのピアノ、ってのは」
「今日になって何てこと言うの。半年も前からこの際に電子ピアノをふつうのピアノに買いかえるって言ってたくせに」
「ダメだ。そんなカネはない。税金だってまだ払っていないんだ」
「卑怯者ッ!」
と娘は泣いた。
よもやと思い、家人と老母のメモも点検した。前夜の会議で、本日購入すべきものを各自メモしておくように、くれぐれも買い忘れのないようにと命じておいたのである。
「ゲッ。何ですかおかあさん、この電動式ブツダンというのは」
「ボタンを押すと扉がスーッと開いて、電気がついて、お経CDが流れるやつよ」
「だーめっ!贅沢です、こんなもの」
「ゼイタク?——仏様に向かって何という言いぐさ。そんなふうだからあんたはいつまでたっても極道作家なんて言われるのよ」
「大きなお世話です。ハイつぎ―—な、なんだおまえ、このワーゲン・ポロっていうのは」
家人は茫洋(ぼうよう)と答えた。
「ゴルフのちっちゃいやつ。今日中にハンコつけばいいってディーラーが言ってたわ」
「冗談は顔だけにしろ。うちのどこにこんな大金がある」
「どうせローンよ」
「どうせどうせと言いながら生活が困窮をきわめてしまった現状を、知らぬおまえではあるまい。ダメだ。ぜったいダメ!」
こんなことをしていたらわが家は今日1日で破産してしまうと思い、緊急会議を開いた。
「いいかね、諸君。とうの昔から今日という日が来ることはわかっていた。わかっていながら計画的な消費行動ができなかったのは、ひとえに家長たる私の不徳である。だがしかし、この最後の1日に大量消費をするほどわが家は裕福ではない。したがって、本日購入する品物に関しては、家産維持のため単価の上限を設定する」
ブーイングが飛んだ。鬼、畜生、役立たず、無計画男、ご都合主義、マキャベリスト、等と私はさんざ罵倒された
しかし何と言われようとわが家の法律は私である。