GHQから接収を逃れるため…
疎開せずに御料車庫で保管していた旧型の御料車は、1945(昭和20)年5月23日夜半から24日未明にかけて行われた空襲により、2両が被災した。戦争終結後も、引き続き現役の御料車は疎開を続け、GHQからの接収を逃れるため、その存在をひたすら隠し続けた。
同年10月、GHQが御料車庫を調査で訪れることになった。旧型の御料車ばかりでは言い訳に困るので、真岡駅に疎開させていた2両の国賓専用の御料車を呼び戻した。運輸省鉄道総局(現在のJR)は、そのほかの御料車は空襲による焼失と所在不明といった”虚偽理由”を示して、現役の御料車の存在を秘匿したとされる。そのかいあって、GHQに接収されたのは、国賓用の2両と皇族用特別車の3両の計5両だけにとどまった。当時の関係者は、“生きた心地がしなかった”と、後日談として語っている。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。