行楽のおとも、鉄道旅行の楽しみといえば、「駅弁」ではないだろうか。昨今、大手百貨店の駅弁大会や身近なスーパーでも駅弁フェアなる催事が行われ、家庭でも気軽に味わうことができるようになった駅弁。皇室と駅弁のつながりは意外にも古く、明治時代まで遡る。はたして歴代の天皇は、どのような駅弁を召し上がったのだろうか。
駅弁の起源には諸説あり
はじめて駅弁が販売されたのは、1885(明治18)年7 月16日の東北本線の宇都宮駅(栃木県)として紹介されることが多い。しかし、このほかにも1877(明治10)年の梅田駅(大阪府)や神戸駅(兵庫県)、1883(明治16)年の上野駅(東京都)などが名乗りを上げている。これらは、握り飯を竹の皮で包んだもので、その後、1890(明治23)年に姫路駅(兵庫県)で現在のような箱(折り詰め)に入ったものが販売されるようになり、こちらを「駅弁の元祖」とする説もあるほどだ。
ちなみに、駅弁に関する記念日は二つあり、4月10日の「駅弁の日」と7月16日の「駅弁記念日」である。前者は、国内の駅弁業者でつくる日本鉄道構内営業中央会が1993(平成5)年に制定したものであるが、後者は“宇都宮駅のはじめて”に由来する。
列車で「ご昼食」のはじまり
1890(明治23)年10月26日、明治天皇と昭憲皇太后は、近衛諸兵秋季演習を御視察のため、茨城県を訪問された。上野駅を出発した御召列車(※戦前期は“御”と記す)は、水戸駅を目指すものの、当時はまだ常磐線はなく、東北本線の小山駅(栃木県)を経由して水戸線で茨城県へ入られた。
朝8時55分に上野駅を出発して、水戸駅に着いたのが午後1時55分で、途中休憩のため45分間の停車が2回あったにせよ、実に5時間もかかった。当時、すでに“駅弁”というものが存在しており、明治天皇の側近らも「移動中に食事をとれば効率よく目的地に到着できる」と考えたのだろう。明治天皇と昭憲皇太后は、小山駅と岩瀬駅(茨城県)の間(現在の水戸線)を走る御召列車の中で食事をとられた。
無論、食堂車などが存在しなかった時代のことであり、天皇と皇后は別々の車両(御料車)に乗られていたため、”仲よく顔を突き合わせてお食事”とはならなかった。では、どのような献立だったのかというと、残念ながら記録が残されていない。おそらく、小山駅近くの旅館か料亭が調理したものか、またはその厨房を使用して宮内省の料理人が作った「お弁当」だったのではないだろうか。車窓を楽しみながらの食事は、明治天皇と美子皇后(はるここうごう/昭憲皇太后の旧名は一条美子)にとって“はじめての体験”であり、それは格別なものとなったに違いない。