船内で召し上がった夕食とは
関釜連絡船のルーツは、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)傘下の山陽汽船という船会社である。この山陽鉄道は、日本初として1899(明治32)年に列車の食堂車で“洋食”を提供した歴史を持つ。「興安丸」での調理は、船内食堂料理長の岡本幸氏にまかされ、補助料理人も同食堂の池永繁人氏であった。献立表には、“御夕餐”ではなく“御夕食”と記されており、庶民感覚がうかがえるものだった。
興安丸で出された食事は、夕食と朝食だったが、その夕食の献立では、山陽鉄道ならではの“伝統の洋食”が用意された。スープ「プリンクノール・ローヤル」、魚料理「コキール(ホタテ貝の殻に盛り付けた)・ド・伊勢海老ソースモルネ」、肉料理「エスカロップ・フォンドヴォー・ジャポネーズ(ケチャップライスなどにポークカツを盛り付けてドミグラスソースをかけた料理)、またはプーレ(メス雛鳥)ソテーベルシー(西洋料理のソース)」、お菓子「ババロア・アラ・クリーム、またはカスタードプディング」の4品だった(当時の文書の原文は、外国語の発音をそのままにカタカナ表記しているため、一部を現在の表記に合わせた)。
朝食と昼食用のお弁当
翌日の朝食は、「オートミール」「ベーコンエッグ、またはスクランブルエッグ」「スモールステーキ」「フライドポテト」「パンケーキ」「ジャム」といった、昭和天皇の食卓によく見られる献立であった。
その日は下関市内を視察後、長府駅(ちょうふえき)からお召列車で小野田駅へ移動し、視察先の宇部興産本社で興安丸の料理人が調理したお弁当をお昼に召し上がった。献立(原文ママ)は、「鯛の塩焼」「煮込かしわ」「松茸の煮物」「なまこのあべ川」「そぼう海老の焼物」「牛蒡(ごぼう)の篠田巻」「豚肉の照焼」であった。弁当箱などは、宮内府が持参したものを使用したという。
こうして、昭和天皇が全国の巡幸先で郷土食を召し上がるようになったことで、のちに有名となる「ウナギ」のエピソードも生まれたようだ。その話は、またの機会としたい。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。