おとなの週末的クルマ考

80年代に爆発的ヒット 初代カリーナEDは20年以上も時代を先取りしていた!! 

背の低いセダンとして大人気となった初代カリーナED

初代カリーナEDは老若男女にウケた大ヒットモデルで、そのインパクトは今でもまったく色あせていません!!

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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第29回目に取り上げるのは、背の低いスタイリッシュセダンのトレンドを作ったCR-Xの初代トヨタカリーナEDだ。

1985年はハイソカーブーム真っ只中

カリーナEDがデビューしたのは1985年。クルマ界では前年の1984年にデビューしたトヨタマークII/チェイサー/クレスタ(GX71系)がデビューしたことで決定的となったハイソカーブーム真っ只中。ハイソカーブームとは、白い4ドアハードトップ(窓枠がないモデル)が大人気となり、老若男女を巻き込んだクルマ界のブームで、バブル崩壊まで続いた。

初代カリーナはセリカ、コロナクーペとプラットフォームを共用する3兄弟

ハイソカーブームでは前述のマークII3兄弟、クラウンが主役となっていたが、当時は『日本人のココロのクルマ』と言われた日産スカイラインの動向が注目され、クルマ好きにとって最大の関心事だったと言っていい。スカイライン関連のスクープ情報を掲載するとクルマ雑誌の売り上げがアップすると言われたため、1984年頃から7代目スカイラインがテストコースで走行するスクープ写真などが掲載され、一喜一憂。

GX71マークII3兄弟の登場でハイソカーブームが決定的となった

7代目スカイラインの憂鬱

7代目スカイライン(通称セブンス:7TH)がデビューしたのは1985年8月31日。大きく豪華な4ドアハードトップ&セダンとして登場。後に追加されたが、2ドアが設定されていなかったのはちょっとした事件だった。打倒マークII3兄弟ということで相当意識し、日産は7代目スカイラインでハイソカーブームのイニシアチブを握ろうとしていたが、結果はその真逆となった。

マークIIを意識したがゆえに不人気となった7代目スカイライン

3兄弟としてデビュー

少し前置きが長くなったが、今回取り上げる初代カリーナEDがデビューしたのは、1985年の主役の7代目スカイラインと同じ8月だがそのちょっと前。

セリカ、コロナクーペとともに3兄弟を形成し同時にデビューした。ハッチバッククーペ(トヨタ流ではリフトバック)のセリカ、トランクが独立したノッチバッククーペのコロナクーペに対しカリーナEDは4ドアハードトップ。一方FF化されたカリーナセダンはカリーナEDの登場後も販売されていたが、デザイン面で大きく差別化されていた。

流面形セリカはその美しさで人気となった

プラットフォームはFFコロナと共用となったため、セリカ、カリーナともA型の型式からコロナ系のT型に変更され、3車ともST160系となった。ちなみに型式のSは、S系エンジンを搭載していることを意味している。

コロナクーペは地味な存在で、1代限りで消滅しその後コロナEXiVとなった

今ではあり得ない車名!?

カリーナEDの車名についてだが、現代でEDと言えば、勃起不全(Erectile Dysfunction)の一択でしょう。アラカンの筆者も他人ごとではない(笑)。カリーナEDと聞けば、懐かしさよりもまずそれを思い浮かべてしまう。まぁそんな年齢になったということ。ちなみにカリーナEDはエキサイティング・ドレッシーの略。ドキドキするようなオシャレな雰囲気といった意味になると思われるが、余計なお世話だが今なら絶対にEDと命名されていないはずだ。

トヨタ初のピラーレスハードトップ

初代カリーナEDのボディサイズは、全長4475×全幅1690×全高1310mm。コロナとマークII系の間に位置するセダンで、背の低い流麗なデザインが特徴だ。トヨタはセンターピラーが残るピラードハードトップしか持っていなかったが、カリーナEDはトヨタ初のセンターピラーレスハードトップだった。ピラーレスハードトップは日産ブルーバード、セドリック/グロリアなど、日産の十八番だったが、カリーナEDでトヨタが初参入となった。

リアコンビも当時としては斬新なデザイン

浪人生を魅了したデザイン

初代カリーナEDがデビューした時筆者は浪人中。8月と言えば夏期特別講習、全国模擬試験などはあったが、まだまだお気楽モード。そんな時にデビューしたこともあり、すでに免許を取得してクルマを買っていた友人と一緒にディーラー巡りをした。

3兄弟で一番興味があったのは流面形セリカだったが、初代カリーナEDの実車を目にしてあまりのカッコよさに感激。マークIIは窓を開けた時にセンターピラーが残って不格好だったが、初代カリーナEDはピラーレスハードトップだから前後の窓を開けた時にホントにカッコよかった。

当然カタログをもらって、家に帰ってにらめっこ。

とにかく雰囲気が抜群によかった

当時のセダンとしては異例に低い全高

セダンとクーペの違いで最も顕著なのが車高。セダンは車高が高く、逆にクーペは車高が低い。カリーナEDのキャッチコピーは『4ドアでありながら、クーペのフォルム。』というもので、実際に通常のセダンより5cm程度ローフォルムに仕上げられていた。

5cmと聞けば大したことないように感じるかもしれないが、カリーナEDの全高はセダンとして驚異的に低い1310mmで、同時にデビューした4代目セリカの全長が1295mmとわずか15mmしか違わない。この数値を見れば、その斬新さがわかるはず。

当時ではクロスオーバーカーなんて言葉はクルマ界になかったが、今で言えばセダンとクーペのクロスオーバーカーということになるだろう。

背が低いセダンは初代カリーナED以外になかった

クーペフォルムだがクーペより快適

ローフォルムのピラーレスハードトップモデルはたちまち大人気。カリーナEDはセダンだったが、豪華さが受けたハイソカーブームとはちょっと違う、どちらかと言えば2代目プレリュードが先鞭をつけたデートカー的なモデルとして人気だったように記憶している。ただ独身の若者だけでなく、子どもが小さいヤングファミリーからのニーズも高かった。

センターピラーが残ら名から解放感抜群。スッキリしたデザインも魅力

実際に初代カリーナEDに乗ってみると、まさにクーペに乗っている感じ。ドラポジもアイポイントが低くスポーティだし、運転席、助手席の前席スペースはゆったり快適。一方リアシートは足元スペース自体は狭くないが、低い車高によってヘッドクリアランスは小さく圧迫感がある。とは言ってもクーペとはけた違いの快適性。クーペフォルムだが、実用性はクーペを大きく凌駕し、大型セダンよりちょっと劣るくらいということで人気となったのも納得。

最優先はカッコいいこと

初代カリーナEDは1985年から1989年まで販売されたが、その間に26万台強を販売する大ヒットモデルとなった。イケイケの時代背景が後押ししたとはいえ、ブランニューモデルがここまで売れたのが凄い。

その一方で、自動車評論家の評価はあまり芳しくなかった。というよりも酷評する評論家も少なくなかった。評価が低かった最大の要因は、背の低さ。実用性が重要なセダンがそれを犠牲にしてデザインを優先するとはけしからん、というもだった。

リアシートはお世辞にも広くはなかったが、カッコよさですべては相殺できた

自動車評論家の評価とユーザーの人気(販売)が大きく乖離するケースは少なくない。実際に自動車評論家の評価の低いクルマは売れるとまで言われていたほどだったが、初代カリーナはその典型の一台と言えるだろう。

現代ではクルマは快適なのが当たり前となっているが、多少狭くてもカッコいいクルマを買う、というのが1980年代だったのだ。

走りは優雅さこそ重要

初代カリーナEDには、1.6L、1.8L、2Lの3種類の直列4気筒エンジンが搭載されていた。今でこそ買い得グレード云々でクルマを選ぶが、当時は基本最上級グレードが一番売れた。「迷ったら最上級グレード」というのは常識だった。エンジンは排気量が大きいほうが偉いし、同じ排気量ならパワーがあるほうが偉かった時代だ。

ということで初代カリーナEDも最上級の2Lを搭載するG-Limitedが一番人気。

走りは優雅に流す、それができたので不満はなかった

2Lを搭載したG-Limitedは、動力性能やコーナリング性能を追求したモデルではなく、あくまでも優雅に流すのが第一義。エンジンに官能性、気持ちよさはないがストレスもない。みんなカッコよさ、スタイリッシュさに惚れていたのでノープロブレム。

時代を感じるのは、こんなキャラの初代カリーナEDにも全グレードに5MTが設定されていたことだ。売れたほとんどが4ATだったが、MTじゃなきゃ嫌だという世代もしっかりと対応していたのは今考えると凄いこと。

オーディオにこだわり

1980年代のクルマ界では、いろいろなものが大きな進化を遂げた。カーオーディオもいろいろなタイプが登場して、若者はプライベート空間での音質にこだわった。そんな状況を察知してトヨタは、初代カリーナEDにはライブサウンドスピーカーシステムを用意。

ライブサウンドシステムはG-Limitedに標準装備

4つのスピーカーのうちフロントの2つにスピーカーユニットから電磁気回路を取り除いたパッシブラジエター方式を採用することによって、豊かな重低音再生と臨場感ある広がりのある音場作りを可能にした新作で、オーディオ好きにはセリカを含め大きなセールスポイントなっていた。

オーディオとはちょっと違うが、ポータブル無線がディーラーオプションとして用意されていたのも今ではなんだか笑える。そのほか光るエンブレムも時代の先取り感満点だった。

1:ポータブル無線、2:コンライト、3:クッション、4:靴箱などオプションもバラエティに富んでいた

3年間ライバル不在

カリーナEDは背の低い4ドアハードトップという新ジャンルを構築。当然他メーカーにも影響を与えることになる。基本的にクルマは、ヒットモデルが出ると他メーカーから似たようなコンセプトのモデルが登場する。

カリーナEDに触発されて登場したモデルには、日産プレセア、マツダペルソナ、三菱エメロードなどがあるが、一番早く登場したペルソナでさえ初代カリーナEDのデビュー後3年経過してから。つまりその間はカリーナEDの独壇場だったのだ。

現代なら早ければ半年後、遅くても1年後くらいにはライバル車が登場するが、当時はまだクルマの開発に時間がかかっていたことも追従が遅れた要因だろう。

初代プレセアは2代目カリーナEDがデビューした後の1990年に登場

20年ほど時代を先取り

自動車評論家からコンセプトについての評価が低かった初代カリーナEDだが、背の低いセダンというコンセプトは初代カリーナEDがデビューしてから20年後に欧州で大流行となった。そのきっかけとなったのは初代メルセデスベンツCLSで、その登場を機に欧州のプレミアムセダンのローフォルム化がトレンドとなった。理由はスタイリッシュだから。そういった意味で、初代カリーナEDは20年程度時代を先取りしていたのかも。

現在ではプリウスが驚異的なローフォルムで大人気となっているが、カッコいいのクルマがどんどん出てほしいと切に願う。

初代カリーナEDのデビュー時の日本のクルマ界、ユーザーともまだまだ成熟していなかったかもしれないが、何かを犠牲にしても特化した魅力を持っていれば、そのクルマは強いということなのだろう。

2005年登場のメルセデスベンツCLSは低いセダンとして大人気

中古車はオススメできない

そんな初代カリーナEDを今手に入れたい!! という人もいるかもしれない。ただ、30年近く経過していること、コレクターズアイテムなどになっていないなど理由に出モノはほとんどない状態だ。ごく少数出回っているモデルの中古相場は100万~150万円程度とそれほど高くないが、ピラーレスハードトップということからボディ剛性面は少々不安だ。それからボディ全体のゆがみなどが気になるところ。ということで正直オススメできるモデルではない。

カリーナEDは3代で消滅

今見てもスタイリッシュな初代カリーナED。そのインパクトは絶大だった

初代カリーナEDは前述のとおり1985~1989年まで生産され大人気となった。その後を受けた2代目(1989~1993年)、3代目(1993~1998年)と3代のモデルが存在する。性能面では大きく進化しながらも2代目、3代目と大を経るごとに初代のようなインパクトもなくなり、需要も縮小していった。

それだけに時代のニーズを的確につかみ、新たなマーケットを開拓した初代カリーナEDの存在の大きさがクローズアップされる。派生車として登場したことからもトヨタ車のなかでは本流ではないが、そのインパクトは絶大だった。

2代目はキープコンセプトで洗練されたデザインで登場したが、初代ほどの販売はマークできなかった

【トヨタカリーナEDG-Limited主要諸元】
全長4475×全幅1690×全高1310mm
ホイールベース:2525mm
車両重量:1160kg
エンジン:1998cc、直列4気筒DOHC
最高出力:160ps/6400rpm
最大トルク:19.0kgm/4800rpm
価格:215万円(4MT)※東京地区

【豆知識】
ペルソナはカリーナEDと同じコンセプトの背の低いマツダのスペシャルティセダン。1988~1992年に販売された。4ドアピラーレスハードトップの流麗なデザインが与えられている。ペルソナの最大のセールスポイントは本革などの素材、デザインにこだわったインテリアで、『インテリアイズム』のキャッチコピーで大々的にアピール。独自の世界観を演出し、日本車で初めて灰皿をオプションにしたことで話題になった。ペルソナの車名はラテン語のPERSONAに由来し、仮面を意味している。

インテリアイズムを掲げインテリアにこだわったマツダペルソナ

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、NISSAN、MAZDA、MERCEDES-BENZ、ベストカー

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