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両雄が亡くなり、時代は……

両雄が亡くなってから、時代は転がるように倒幕に向かいます。

倒幕の原動力になったのが、水戸学に触発された雄藩の志士たちであったことは、歴史の皮肉といえましょう。

【水戸城】(別名・馬場城)
鎌倉時代にこの地を治めた馬場資幹(すけとも)が館を開き天正18(1590)年、佐竹義宣(よしのぶ)が近世の城郭に改めた。関ヶ原の戦いの後佐竹氏が秋田に追放され、家康の4男忠吉、5男信吉、10男頼宣と城主が替わった後、11男頼房が入る。仙台の伊達ほか東北に睨みを利かせる存在だった。石垣はなく土塁によって城は築かれ、三重五階の御三階櫓が天守代わりとなった。薬医門は唯一の現存建築物だ。
住所:茨城県水戸市三の丸
電話:029-224-0441(水戸観光コンベンション協会)

偕楽園 Photo by Adobe Stock

偕楽園
天保13(1842)年に徳川斉昭が造園。弘道館で勉学に励み、偕楽園で憩うことと一対で設計されたという。2月には約100種3000本の梅が開花し、楽しませてくれる。
住所:水戸市常磐町1-3-3
本園入園料:300円、小人150円
本園開園時間:7~18時(10月1日~2月中旬)、6~19時(2月中旬~9月30日)
電話:029-244-5454(偕楽園公園センター)

【徳川斉昭】
とくがわ・なりあき。1800~1860年。水戸藩35万石の第9代藩主。3男であったが、聡明さに加え藤田東湖や会沢正志斎といった尊皇派の学者たちの推挙もあって30歳で藩主となる。藩校・弘道館を作り、藩政改革を行うとともに、西洋列強の侵攻に備え、大規模な軍事演習を行うなど、強硬な尊皇攘夷派として知られた。開国と将軍後継をめぐり大老・井伊直弼と対立、永蟄居を命ぜられ失脚。最後の将軍、慶喜の実父でもある

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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