とにかくカッコよかった
デザインについては人それぞれ評価軸が違うけど、初代クレスタはマークII、チェイサーと比べて圧倒的にカッコよかったと筆者は感じていた。それは今見てもそう思う。筆者は当時中学生だった。当然免許はないしクルマのことはほとんど知らない若造だったが、初代クレスタにそれまでの日本車にない新しさを感じた。
全長4640×全幅1690×全高1395mmは5ナンバーサイズながら伸びやかで、背も低く抑えられていてピラードハードトップ特有のシュッとした感じがなんとも言えずよかった。
まず顔がよかった!! 大型異形2灯のマークXはオヤジ臭かったし、スラントノーズのチェイサーはバリカンっぽくてイマイチ。その点初代クレスタは角型4灯のヘッドライトがスポーティ。
さらにお尻、厳密にはリアコンビランプのデザインなのだが、横バータイプながらちょっとスラントして、それがダックテールのように見えるという新デザインを採用。そんなこともあってプロポーションはマークII/チェイサーと同じながら光っていた。そう思っていた筆者世代の若造、ちょっと上のお兄さんたちにはいっぱいいた。
若者御用達で大ヒット
トヨタの思惑が外れた、というのはターゲットユーザーで、ちょっと高めの年齢層を狙っていた高級志向の初代クレスタだったが、ふたを開けてみれば高級感とスポーティさを兼ね備えていたので若者が飛びついた。
クレスタという名前も響きがいい。トップグレードの名称もマークIIのグランデ、チェイサーのアバンテよりもずっとオシャレなスーパールーセント。若者を魅了するに充分で、
トップグレードのスーパールーセントでさえ200万円を斬る価格だったこともあり、一躍若者御用達となった。もちろん当時は最上級グレードが一番人気だった。
ツインカム24登場!!
若者の心をつかんだ初代クレスタは、1982年のマイナーチェンジでその人気はさらに高まった。そう、『ツインカム24』の登場だ。マークII3兄弟に2L、直6DOHCエンジンが新たに追加されたのだ。
このエンジン以前にもDOHCエンジンは存在していたが、『ツインカム24』の名称はとにかく秀逸で、そのエンブレムが燦然と輝いていた。だから、マークII3兄弟でも『ツインカム24』のエンブレムが付かないグレードはマークII3兄弟にあらずと言った感じ。とにかくその威力は絶大だった。
日本車史上珍しいマイチェン
実は初代クレスタ、非常に珍しいマイチェンを行った。前述のとおり初代クレスタの車両型式はX50系だったが、マイチェンでマークII/チェイサーと同じX60系へと変更された。プラットフォームをマークII/チェイサーと共用することになったため、前期型のホイールベースは2650mmだったが、マイチェン後は2645mmと短くなった。マイチェンでプラットフォームを変更するのはまれだが、5mmとは言えホイールベースが短くなるのはもっと珍しい。これは単に高効率化を狙ったコストダウンだ。
マイチェンでさらに人気爆発!!
マイチェンは『ツインカム24』の登場が最大のトピックだったが、エクステリアデザインの変更も見逃せない。クレスタは角4灯ヘッドライトが人気だったが、マイチェンでイエローのフォグランプを内蔵した異形角型2灯に大胆変更。これがまたカッコよかったのだ。フォグを点灯していない状態では、うっすらと黄色が透けていて、フォグを点灯すると内側が黄色く発光するというのも若者の心をつかんだ。
それからボディカラー。初代クレスタと言えば独特のツートーンカラーが人気だったが、マイチェン後はスーパーホワイトが一番人気となったこと。
その一方でマークII/チェイサーも同様にマイチェンを受け、マークIIがオヤジ顔からスポーティなイーグルマスクに変更されてこちらも人気となった。でも若者の一番人気はクレスタで変わりなかった。
ソアラとクレスタで悩む
若者から絶大な支持を得た初代クレスタは、当時日本車の最高峰に君臨していたソアラと人を二分したと言ってもいいほど。スペシャルティ2ドアクーペのソアラか4ドアハードトップのクレスタのどちらを買うかで当時の若者は大いに悩んだ。今のクルマ界ではまったく考えられない現象だった。
筆者は広島県出身だが、中学生頃は大学生だろうが社会人だろうが高校卒業後にすぐに新車を買う、というのが当たり前。大学に行くかクルマを買うかという選択肢さえあった。大学に行かない代わりに新車を親に買ってもらった人もいた。とは言え、基本はローン!! 男の5年60回ローンというのが大半だった。新車を買うために働く、収入のほとんどはクルマのローンとガソリン代で消えるという時代だったのだ。クルマのステイタス性を求め、身分不相応だと言われようが関係ない。だから、初代クレスタもトップグレードのスーパールーセントが一番売れた。