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教習車で幻滅!?

初代クレスタは自動車学校の教習車仕様を設定していた。クレスタの教習車は3代目(1988~1992年)まで設定されていたから、クレスタで免許を取ったという人も少なくはないはず。

筆者は大学2年生の時に免許を取得。その時の教習車は日産ローレルの2.8Lディーゼルだったが、その頃他校では初代と2代目のクレスタの教習車が混在している感じ。実際筆者の友人は初代クレスタの教習車で免許を取得したが、友人曰く「初代クレスタに憧れていたけど、教習車は運転しづらいし、高級感のかけらもなくて幻滅したよ」。教習車は4気筒エンジンモデルで5MTゆえ、いわゆる人気のある6気筒クレスタとはまったく別物。当たり前のことなのだが、憧れていただけに百年の恋も冷めたような気分になったのだろう。「人気のクレスタで免許取れます!!」と大々的にアピールしていた教習所もあったが、筆者の友人と同じ思いをした人は少なくないのでは?

初代クレスタはトヨタの教習車に抜擢されていて数多く導入されていた(カタログより)

1980年代に若者が憧れたクルマの筆頭格

筆者は初代クレスタを運転したことはない。でも先輩がマイチェン後のスーパールーセントを買ってよく助手席、リアシートに乗せてもらったり、叔父が同世代のイーグルマスクマークIIグランデに乗っていたため、雰囲気や乗り味はわかる。とてもスムーズで快適だった。

『ツインカム24』は初代クレスタではなく2代目ソアラで経験。エンジンはスムーズだし、アクセルを踏んだ時の6気筒特有の「グォーン」という音が心地よかったのを覚えている。そして強烈に速かった。

今見ると少々恥ずかしくなりそうな見た目に豪華なインテリア

乗り味などよりも印象的だったのは、デジパネ(デジタル表示のインパネ)と場末のスナックを彷彿とさせるモケット地のシート。今見るとセンスねー、と感じるが当時は豪華で凄いと感じていたものだ。

内装をチンチラ仕様にしたり、シャコタンやエアロパーツを装着するのも流行ったけど、広島という地域柄、ヤン車仕様やゾク仕様もいっぱいあった。

同世代でも初代クレスタにまったく興味がなかったという人もいるだろうが、筆者にとっては多感だった1980年代に憧れたクルマの一台であることは間違いない。

初代クレスタ用のエアロパーツは数多く販売されていた

【初代トヨタクレスタ主要諸元】
全長4640×全幅1690×全高1395mm
ホイールベース:2650mm
車両重量:1205kg
エンジン:1988cc、直列6気筒SOHC
最高出力:125ps/5400rpm
最大トルク:17.5kgm/4400rpm
価格:197万4000円(4AT)

【豆知識】
チェイサーは3代目マークIIの兄弟車として1977年に初登場したトヨタオート店の専売車種だ。2代目は1980年にマークIIと同時デビューし、初代よりもデザインで差別化が図られた。チェイサーは一貫してマークIIよりも若者向けというキャラクターが与えられてきた。3兄弟で最もスポーティなデザインが与えられていたが、クレスタが加わりマークII3兄弟と呼ばれるようになっても販売面では3兄弟で最も少ない。

スポーティだがどことなく洗練されていなかった2代目チェイサー

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、ベストカー

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市原 信幸
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