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吉宗の執念深さ

宗春の積極景気対策も尾張家の財政破綻で幕を下ろすと、すかさず吉宗は宗春に引退を命じます。さらに宗春が亡くなった後、その墓を金網で覆うといった仕打ちをしています。

しかも、遺言でそうさせているのです。吉宗の執念深さを考えると、尾張憎しの感情が御三卿を作らせたのかもしれませんね。

和歌山城と和歌山市内 Photo by Adobe Stock

【和歌山城】
天正13(1585)年、豊臣秀吉の弟・秀長が紀ノ川と和歌川に挟まれた地に築城したのが始まり。縄張りは築城の名人・藤堂高虎で石垣には紀州特産の緑泥片石が野面積みで積まれている。慶長5(1600)年、浅野幸長が入城。和泉砂岩を使った切り込み接(はぎ)で石垣が作られた。元和5(1619)年、徳川頼宣が藩主になると、新たにこちらも和泉砂岩を使った切り込み接(はぎ)で石垣が作られ、3期にわたっての築城の歴史がわかる。弘化3(1846)年、火災によって天守は全焼。嘉永3(1850)年に再建されたが、昭和20(1945)年7月9日、米軍の空襲で再び焼失した。現在の天守は、昭和33(1958)年に再建された。
天守閣入城料:大人410円、小人200円
開館時間:9~17時30分
休館日:12月29~31日
住所:和歌山市一番丁3
電話:073ー422ー8979

Photo by Adobe Stock

【徳川吉宗】
とくがわ・よしむね。1684~1751年。徳川御三家紀州藩の第2代藩主・徳川光貞の4男に生まれる。第7代将軍・家継が亡くなると、第6代将軍・家宣の正室・天英院の指名で第8代将軍となる。御三家から将軍が選ばれたのは初めてだった。衰え始めた幕府権力の復興に努め、新田開発や公事方御定書の制定、目安箱など享保の改革を断行した。中興の祖とされるいっぽう、御三卿(田安、一橋、清水の三家)によって吉宗の血のつながるものを将軍にするシステムを作り、幕府財政を圧迫したという批判もある。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。京都芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は、焼失前の正殿。「Webサイト 日本の城写真集」より。

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