「しがみついてでもやりたい人もいる」
「監督というのは大変な仕事ですけど、そこそこ給料ももらえますし、しがみついてでもやりたいという人もいるんです。私がそう思わなかったのは、5~10年のスパンで世代交代が必要なのは選手だけでなく、監督も同じだからです。でも長いことトップでいると、周りにはイエスマンばっかりが集まって、居心地も良くなってきて、辞める決断ができなくなる。だから私は結果が出せなかったらスパッと辞めるって決めていたんです。就任7年目の2021年にリーグ4位になったんで、ここが引き際だなと。球団からは慰留されましたが、結果が出なかったときにトップが責任を取らなければ、組織の再生はできませんから。ソフトバンクがこれからも毎年、優勝を争うような強いチームであり続けるためにも、あのタイミングで身を引く決断をしたのは間違っていなかったと思います」(『各界のスペシャリストに学ぶ経営のヒント 勝ち続けるための組織づくりと人材育成』あんしんLife2024年1月号)
長期政権による馴れ合いや気のゆるみを嫌い、チームの再起を願って身を引くというのは、中嶋監督、工藤氏に共通する姿勢だ。引き際をわきまえているのは名将の条件の一つだろう。
一方的な解任に抵抗した監督も
ただ「勇退」といわれるような、監督冥利に尽きる身の引き方ができるのは、希少なケースだ。多くの場合、監督交代は、本人の意向に関わらず、球団が一方的に首を切る「解任」であることがほとんどだからだ。やる気のある監督と、辞めさせたい球団のコミュニケーション不足により、とんでもない騒動になったこともある。
阪神の監督交代劇は、「お家騒動」とも称されるが、80年代後半から90年代にかけて成績が低迷した「暗黒時代」には、毎度のようにすったもんだが繰り返された。そのピークともいえるのが、1996年の藤田平監督解任騒動だ。
藤田氏は1995年のシーズン途中、成績不振により休養を申し出た中村勝広監督の後任として、二軍監督から監督代行に昇格し、翌1996年、監督に就任した。しかし、目立った補強はなく、育成もままならず、開幕から最下位を「独走」。負け犬体質を一掃するべく、ベテランも人気選手も特別扱いをせず、「鬼平」とあだ名がつけられるほどの厳しい態度で臨んだことから、選手からの評判は芳しくなく、新外国人獲得をオーナーに直訴し、頭越しにされたフロントとの軋轢も生じていた。