「風水」とは何か、人吉・球磨を統治してきた相良氏とは
そもそも「風水」とは、約4000年前に中国で発祥した、「気」の流れを利用した環境学のこと。さまざまな流派がありますが、古くから間取りや家、お墓、都市などの位置を決めるために活用されているのは、みなさんすでにご存じかと!
人吉・球磨エリアは鎌倉初期から明治維新まで、約700年にわたって相良(さがら)氏という武家が統治してきました。「相良氏って何者?」と思われる方もいるかと思うので、簡単に説明すると、約800年前に、源頼朝の命を受けて、遠江国相良荘(現在の静岡県)から人吉藩──現在の人吉球磨エリアに“赴任”したお殿様。初代に当たる長頼(ながより)が建久10(1199)年、本拠地となる人吉城をつくる際に三日月模様の石が出土。しかもその日は月暦で正月三日、そして、三日月が昇る日だったのだとか。相良家では代々その石を霊石として崇めてきました。それが、人吉城が、「三日月城」と呼ばれる所以です。
時は流れて戦国時代、18代目の義陽(よしひ)は、邪悪な気から町を護る城下町を作ろうと、風水思想に基づいた風水都市を作ることを決意します。鬼門(北東)、裏鬼門(南西)、玄武(北)、願朱雀(南)、天門(北西)、白虎(西)などに多くの神仏を鎮座させることで、「結界」(聖なる場所と、俗なる場所とを分ける境目。もともとは仏教用語だったが、今はより広義な意味で使われている)思想を反映した都市づくりを実践。義陽本人は38歳で戦死し、その完成を見ることはなかったのですが、息子で江戸時代の人吉藩初代藩主、20代長毎(ながつね)の時に、義陽が思い描いた風水都市が完成します。