精巧さを極めた「大日本沿海輿地全図」
伊能忠敬は、上総国山辺郡小関村(現・千葉県九十九里町小関)の生まれ。「伊能忠敬記念館」がある千葉県香取市のHPによれば、「伊能忠敬は55歳から71歳まで10回にわたり測量を行いました。その結果完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降国内の基本図の一翼を担いました」とのこと。
自らの足と天体観測により作られた本格的な実測地図は、「大日本沿海輿地全図」と呼ばれ、今の日本地図と比べても極めて誤差が少ない精巧さを極めるものだったといいます。最終的に地図が完成したのは伊能忠敬の死後、1821(文政4)年と言われていますが、彼の名前をとって、「伊能図」や「伊能大図」とも称されています。