銚子遊覧鉄道時代の犬吠駅のいま
銚子遊覧鉄道と銚子鉄道(現・銚子電気鉄道)には、それぞれ「犬吠駅」が存在した。少々ややこしい話題ではあるが、簡単におさらいすると、銚子遊覧鉄道の犬吠駅は、現在の駅よりも約350m終点側(外川駅寄り)にあった。銚子鉄道となったあとの1935(昭和10)年8月に、新たに現在ある犬吠駅の場所に「灯台前駅」を開業させた。その後、1942(昭和17)年に灯台前駅と犬吠駅を統合するかたちで、犬吠駅を廃止して、灯台前駅を「犬吠駅に改称」したものが現在、となるわけだ。もともとあった銚子遊覧鉄道時代の犬吠駅の跡は、現在も空き地になっているが、写真に見るとおり樹木が覆い茂る状態となっており、ここが駅だったと言われなければ気が付かないだろう。今昔を比較するため、今から39年前に同じ場所で撮影したモノクロ写真を掲載した。この路線自体が、一度廃線になってはいるものの、その廃線跡をそのまま活用して→銚子鉄道→現在の銚子電気鉄道となっているため、銚子遊覧鉄道時代の廃線跡が遺されているのは、ここ“旧犬吠駅跡”しかない。
これ以外にも「観音駅」が、銚子遊覧鉄道の時代は現在の場所から駅前の踏切を隔てた外川駅寄り約30m終点方にあったが、銚子鉄道として再起した際に現在の場所へと移動している。この痕跡もいまとなっては何も確認できない。
また、仲ノ町駅についても、最初の計画段階の駅名は、所在地名の「新生(あらおい)」としていた。しかしこれでは、近隣にあった同名の国鉄貨物駅「新生(あらおい)貨物駅」(現在はヤマサ醤油銚子工場と中央みどり公園のある場所にあった)があり、“乗客が混同する”として開業の1か月前に駅名を「仲ノ町」に改めている。
ちなみに、この新生貨物駅は、昭和天皇が戦後巡幸で銚子市を訪れた際に、市内に昭和天皇の宿泊に適した旅館がなかったため、御召列車(天皇の専用列車)をこの貨物駅にひと晩留め置き、その列車の中で「車中泊」をしたことは、あまり世に知られていない。
次回は、続編として「銚子電鉄と皇室のつながり」を掲載予定です。

文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、鉄道友の会会員。